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2019年 01月 28日
年末、横浜のハーバーガイズで押川聖子さんのライブを聴いて、癒された。 その時、彼女が「スマイル」を唄った。 で、正月はチャップリンの「モダン・タイムス」を借りて観た。 チャップリンの映画を観るのは久しぶりだが、改めて傑作だなと思った。 この映画をいつ頃観たかは定かではない。大学時代にどこかの名画座で観たのか、それとも近美のフィルムセンターだったか、はたまたTVの名作劇場か・・・ 当時も傑作だとは思っていたが、今回はもっとグッと来た。 物語は、チャーリー(チャップリンの分身と言うか、チャップリンそのもの)が大きな工場でコミカルに懸命に働くシーンから始まる。自動給食マシーンの実験台にされた挙句、働き過ぎのノイローゼで病院送りになるが、治り、今度は共産主義者と間違われ、留置所送りになる。だが、脱獄囚を撃退したことから模範囚として放免され、紹介された造船所で働く。が、ドジで首になる。とまあ、不運続きで、自分から再び刑務所に戻りたいと、無銭飲食するが、護送車の中で浮浪少女と出会い、車が横転した隙に二人で逃げ出す。意気投合した二人は、働いて家を建てようと懸命に頑張るが、どれもこれも上手く行かず、少女は悲嘆にくれる。だが、チャーリーが慰め励まし、二人は手に手を取って、未来に向かって再び歩き出すシーンで終わる。 このラストシーンに流れる曲が「スマイル」だ。 実は、映画公開当時は曲だけで、歌詞は無かった。後に(多分、チャーリーが少女に向かって「笑って」とモーションすることから)「スマイル」という題名と歌詞がつけられ、ナット・キング・コールの唄でヒットし、スタンダードとなった。 この映画はチャーリーの唄う「ティティナ」(傑作‼︎)や、バックに音楽は流れるが、全体は白黒のサイレント映画で作られている。 当時、既にトーキー(最初の長編映画は「ジャズ・シンガー」(‘27) 私は未見)はあったし、チャップリンのこの映画から3年後に公開されるテクニカラーの「風と共に去りぬ」(‘39)などと比べると、古臭い感じは否めない。 では、なぜ、チャップリンは白黒のサイレント映画に固執したのだろう。 チャップリンは1889年ロンドンで生まれ、1歳の時に両親は離婚し、どん底の生活を子供時代味わう。5歳から舞台に立ち、様々な劇団を転々としながら演技を身につけ、やがてアメリカに渡って、1914年からサイレント映画に出始める。(山高帽にちょび髭、ダブダブのズボンにステッキ、という出で立ちは、ほぼ当初からだという) 初期の映画は未見だが、「キッド」(‘21)では既に、チャップリンらしい、笑いと涙の合わさった、落語の人情噺のような味わいがよく出ている。 笑いだけで言えば、「黄金狂時代」(‘25)の時点で既にピークに達している。(ヘタなお笑い番組を見る暇があったら、この映画を100回観る方がはるかに面白い) 「街の灯」(‘31)では「キッド」をさらに深めて落語のオチのような感覚まで味わうことができる。(この頃からトーキーを意識してバックに音楽を流している) そして「モダン・タイムス」(‘36)では、人情噺に加えて、当時の社会や未来が抱えている非人間的な側面を笑いで風刺しながら、弱い者の立場に立ちながら、希望を見出そうとしている。 この社会批判は、次の「独裁者」(‘40)では戦争批判にまで発展し、時代に敏感に反応しながら、市井の人々の懸命な生き方を描こうとするチャップリンの姿勢が良く出ている。 要は、チャップリンは、技術の進歩や表面的な(新奇な)テクニック以上に、これまで培ってきた芸の上に、内面的な深みや芸術性、社会性を求めたのだ。 そのため、時間と労力、お金をかけて完璧になるまで何度でも撮り直した。だから、フィルムは白黒でなければ持たないし、音入れも完璧を期してサイレントにしたのだろう。 この選択は正しかったと思う。正月に「モダン・タイムス」前後の映画も観て、改めてチャップリンの進化と偉大さを感じた。 いつも順風満帆な人生、勝利しかない人生は、逆につまらないと思う。 「スマイル」が心に沁みる、なんていうのは 挫折したことのある人にしかわからない(味わえない)ご褒美だからだ。 かずま Odyssey of Iska 150-0001 渋谷区神宮前2-6-6-704 tel. 03-5785-1671 #
by odyssey-of-iska2
| 2019-01-28 18:14
2018年 10月 23日
サム・ペキンパーは過激な暴力描写とスローモーションを多用した映像で有名だが、それだけではなく、いつも人の矜持を描いて、好きな監督の一人だ。 彼は生涯14本の作品を残したが、私はそのうち5本を次の順序で観た。 「わらの犬」 (1971) 「ジュニア・ボナー」(1972) 「ゲッタウェイ」 (1972) 「ワイルドバンチ」 (1969) 「ガルシアの首」 (1974) 「わらの犬」はダスティン・ホフマンが主演で、次の2つもスティーブ・マックイーンが主演だから観た。つまり、二人のファンだから観始めたのだが、「ワイルドバンチ」と「ガルシアの首」を観てからは、圧倒的にサム・ペキンパーのファンになった。 (断っておくが、私は過激な暴力描写や無駄に血を流す映画は嫌いで、そういう意味では戦争物やアクション物には全然惹かれない。だからペキンパーの作品でも「戦争のはらわた」は観ていない) 私が惹かれるのは最初に言ったように、ペキンパーの映画に流れる男の矜持と哀感だ。ペキンパーはそれを際立たせるために暴力描写とスローモーションを使った。そう思う。子供や女がよく登場し、その心理描写が極めて繊細なのも、ただの過激な暴力愛好家でないことがわかる。 西部劇には興味が無く、ほとんど観ない。その理由は、多くが白人から見たヒーロー物で、白黒のはっきりした単純な構図の映画だからだ。 だから「ワイルドバンチ」も期待しないで観た。だが、全然違っていた。 年老いたパイク(ウィリアム・ホールデン)率いる強盗団は騎兵隊を装い、銀行強盗に成功するが、彼らを追いかける賞金稼ぎの待ち伏せに出会い、わずか5人になる。 (この逃走劇で、橋を爆破して、追っ手が馬もろとも川に落ちるスローモーションは、初めて観た時には呆気にとらわれると同時に、美しいなぁと思った) 5人は国境を越え、革命軍と政府軍の内乱が続くメキシコに逃げるが、政府軍を率いる将軍との間にいざこざがあり、最終的には1人が捕らわれリンチにあう。 仲間を見殺しにできない4人は将軍の元に出かけ助けようとするが、最後は壮絶な銃撃戦となり、政府軍を皆殺しにする代わりに彼らも全員死んでしまう。 (このラストの「デスバレー(死のバレー)」と呼ばれる有名な銃撃戦は迫力満点で凄い! と同時に、初めて観た時はスローモーションシーンは美しいなぁと思った。 もちろん、純粋に映像的な話だが・・・) この映画は黒澤の「七人の侍」の影響を受けている。 だが、決定的に違うのは、主人公たちが皆死んでしまうことだ。 非情だが、よりリアルで、虚しさや哀感の余韻がより深く残る。それまで観た西部劇とは違って、西部劇の形を借りた現代の映画のように感じた。 「サム・ペキンパー 情熱と美学」(‘05)は彼の生涯と作品を扱ったドキュメンタリーだが、ペキンパーファンなら知ってることばかりで新たな発見は無い。 だが、「ワイルドバンチ」にも出演しているアーネスト・ボーグナインやジェームズ・コバーン、クリス・クリストファーソンらがペキンパーについて語るシーンは興味深い。誰もがペキンパーを愛していて、プロデューサーや制作会社に盾突き、従おうとしない彼を面白おかしく語りながら、心の底で擁護し、援護している。 お金目当てではない、現場の人間達の、映画にかける情熱や熱気があった、幸福な時代の香りが漂っている。 最後は酒やコカインに溺れて死んでしまうが、男っぽい映画ばかりつくってきた反面、実は非常に繊細な神経の持ち主だったのだろう。 でもペキンパーは幸運だ。 今でも「ワイルドバンチ」やその他の傑作を私たちは観ることができる。 映画は永遠だ。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2018-10-23 21:41
2017年 05月 30日
映画を意識して観るようになったのは、高2の時に「卒業」('67)のリバイバルを観てからだ。 その後、監督のマイク・ニコルズの作品は片っぱしから観た。(私は好きになった映画の監督作品はそうする癖がある) 主演のダスティン・ホフマンはオーディションでは上手く行かなかったそうだが、それを見た監督が「彼にはSomethingがある」と言って起用したのは有名な話だ。つまり、現在ダスティン・ホフマンがあるのは、マイク・ニコルズに見る目があったからだが、おかげで私たちも、その後の彼の驚異的な演技の数々を多くの映画で観ることができる。 この映画のラッツォもその一つで、その前の「卒業」のベン・ブラドックとは全然違っていたので、初めて観た時には驚いた。 と言っても、ラッツォが出てくるのは、映画が始まってしばらくしてからだ。 それまでは、もう一人の主役ジョー(ジョン・ヴォイト)が、テキサスの田舎町からニューヨークで一旗揚げようと、マッチョなカウボーイ姿で颯爽と現れ、(バックに流れるニルソンの「うわさの男」が快調だ)金儲けのため金持ち風の女と寝るが、逆に女から金を巻き上げられ、散々なスタートを切るエピソードが続く。 そこに薄汚い格好をした(仲間からネズ公と呼ばれ、嫌われている)ラッツォ(ダスティン・ホフマン)が現れ、彼の口車に乗せられて10ドル払いある男と会うが、これが偏執狂の恐いホモで、這々の体で逃げ帰るという、さらに酷いエピソードが続く。 このラッツォの出で立ちと動作が凄い。 チビでびっこで黒づくめの脂ぎった長髪で、神経質でどもりながら早口でスラングを話し、咳をし、汗をかいて、真に都会に棲むドブネズミそのものなのだ。 前作の「卒業」で悩めるハイソな若者を演じた同じ俳優とは思えない落差で、始めは面食らったが、そのうち(凄い役者根性だな!)と、その演技にのめり込んで行った。 ジョーはカンカンになって怒り、ラッツォを探し出すが、既に金は使われている。宿無しのため、ラッツォが住処としている廃屋のビルの一室にジョーも住む羽目になる。都会の底辺で吹き溜まりのような生活を続けながら、やがて二人は心を通わせる。 その後もラッツォの咳や病いは悪化し、とうとうエンドの状態にまでなる。 最後に二人はラッツォの夢だったフロリダ行きを決め、長距離バスに乗る。 このラストシーンが何とも言えない。 朝、ジョーが目覚めるとラッツォが「小便を漏らして、身体がビショビショだ」と泣く。かわいそうに思ったジョーはフロリダ近くの休憩所で二人分の明るい衣服を買い、自分も着替えて、カウボーイの衣服とブーツをゴミ箱に捨てる。 バスに戻ると、アロハシャツにラッツォを着替えさせ、額の汗を拭く。 「サンキュー、ジョー」と答えるラッツォ。 ジョーはタバコを一服しながら、マイアミに着いたらまともな職について働くよ、どう思う?と話す。だが、返事はない。ラッツォは既に息絶えていたのだ。 茫然とするジョーとキリストのように眠るラッツォをバックに、マイアミの抜けるような青空とヤシの木、白い建物がイリュージョンのように窓ガラスに映り、それにトゥーツ・シールマンスのハーモニカがかぶさりながら映画はゆっくり終わる。 ニューシネマの中でも忘れられないラストシーンの一つだ。 観終わって二人の主役のどちらが記憶に残るかというと、断然、ラッツォ(ダスティン・ホフマン)だ。「レインマン」('88)でもトム・クルーズを食っている。 「マラソンマン」('76)でローレンス・オリヴィエ、「パピヨン」('73)でスティーブ・マックイーンと互角の演技だった。 「レニー・ブルース」('74)、「クレイマー、クレイマー」('79)、「トッツィー」('82)・・・と印象に残る演技を挙げていったらきりが無い。 本当に名優だなと思う。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2017-05-30 20:14
2017年 04月 30日
自分の精神構造はどうやってつくられたのかに興味がある。 もちろん、それは一筋縄ではなく、生まれた時代や場所、育った家庭、周りの環境、出会った人々、読んだ本、DNAなど、いろんなものが複雑に絡み合いながら奇跡的に結合し生成されたに違いない。 その要素の一つに、私の場合、映画やジャズは大きく影響している。 映画を強く意識するようになったのは高2(17才)の頃からだ。 そしてその頃、観た時はそれほどではなかったが、その後折あるごとにフラッシュバックのように脳裏をよぎり、拡大しながら自動生成され、定着していった映画がある。「バニシング・ポイント」だ。 ストーリーは単純だ。 ある中年の男がデンバーからサンフランシスコまで15時間で車を陸送する賭けをする。そして時速200kmでぶっ飛ばし、白バイの追跡やバリケードを突破していく。そのニュースを聞き、逃亡車を熱狂的に応戦する盲目のディスクジョッキーと市民たち。次第にエスカレートしていく警察の追跡とそれから必死に逃げる白い車。 その果てに、巨大なパワーシャベルが道を塞いで待ち構えていた・・・ これはアメリカン・ニューシネマ真っ只中の1971年の映画だ。 バニシング・ポイント(消失点)という題名からして、結末は既に暗示されている。 内容も、15時間というタイムリミットの設定上、現在地と時刻が字幕で表示され、わかりやすく、(過去の回想シーンがその合間にフラッシュバックのように挿入されるが、どこか凡庸で)ある意味、単調だ。 だから、見た当時は秀れた映画だと思わなかった。(今でも思わない) だが、とてもシンプルな骨格をしている分、ラストシーンは強く心に残った。 そして私の中でエイリアンのように巣をつくり、肥大して、一つの感覚に至った。 それは簡単に言えば、明るい敗北、白い虚無、のような感覚だ。 なぜ明るいかというと、ラストシーンでコワルスキー(主人公の中年男)がアクセルを全開に踏む前に、ニヤリと微笑むからだ。敗北を受け入れ、その真っ只中に飛び込んでいくことを自分から欲している。 そして、無に向かって消えていく姿に白い美意識を感じる。 この姿勢、この感覚は他の映画では味わえない。 監督のサラファインや主演のバリー・ニューマンの他の映画は、一つも観ていないし、知らない。 だが、この映画は永遠に残るだろう。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2017-04-30 15:23
2017年 03月 31日
![]() JALの機内で聴ける音楽は貧弱だといつも思う。特にジャズは最悪で、何の工夫もないどころか、ポップスの一部かバックに流れるイージーリスニング程度にしか扱われないことも多い。 先日の奄美の行き帰りも聴くべきものがまるでなく、しょうがないのでビートルズの初期のライブをやってたので聴いたら、これが思いの外良かった。結局、行きも帰りもずっとこれを聴いた。 この「Live at the Hollywood Bowl」('64&'65)は、昔「スーパー・ライブ」という名のLPで発売されたが、今回聴いたのは全然別物と思える程音が良く、かつ生々しくて、ロックンロール・バンドとしてスタートした当時のビートルズの勢いを彷彿させてくれる。 このライブは当時を扱ったドキュメンタリー映画の公開に合わせて再発されたもので、当のDVDがTSUTAYにあったので借りて観た。 結果はただのスカッとした映画ではなく、60年代と、ある種の屈折した人生を感じさせる、深くて苦いドキュメンタリー映画だった。 出だしは「She loves you」をすこぶる快調に歌いまくる4人の姿から始まる。(特にジョンが男らしくてカッコいい!) 周りの熱狂も凄くて、改めてビートルズが出て来た当時の異常な興奮を思い出した。(と言っても、当時の小学生の私にはその意味はわからなかった) これだけだと、ビートルズはポッと出のワッと受けたバンドのように思えるが、「ここに来るまで大変だった」というポールの述懐がそれにかぶさる。 実際、彼らはデビュー前の60年、61年とハンブルグに巡業し、ライブ会場の酒場で毎日6〜8時間、しかも数ヶ月間演奏するという過酷な雌伏の時を過ごす。この試練が、荒削りだが度胸と迫力のある彼らの初期の演奏の土台となり、62年10月に「Love Me Do」でデビューを果たす。そして翌63年から快進撃が始まり、「Please Please Me」(1月)、「From Me To You」(4月)、「She loves you」(8月)、「I Want To Hold Your Hand」(11月)と、出すシングル、出すシングルがすべてヒットチャート1位を記録する。 (当時の勢いはこのドキュメンタリーの中で十分感じ取れる) ビートルズの異常なのは、短期間にヒットシングルを連発しながら、かつライブやコンサートをずっとこなし続けたことだ。(この映画のタイトルの元となった「Eight Days A Week」('64 12月)という曲は、休日もなく働き詰めの毎日を「週に8日も仕事だなんて」とリンゴ・スターがボヤいたのが元で生まれた) ライブやコンサートで24時間拘束される不自由な生活を続けるうちに彼らの神経はすり減り、有名になったことで周囲との軋轢も深まり、やがてそれは頂点に達する。 「まるで見世物さ。曲なんて聴いちゃいないし。うんざりし始めていた」 「”シー・ラブズ・ユー”をずっとは歌えない」 「次の新しい場所を求めていた。進化の時だし、変わりたいと思ってた」 ポールとリンゴの述懐は苦い。そして66年のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークでのコンサートを最後に彼らはレコーディング・アーティストへ移行する。 映画の最後はこのコンサートの模様で、確かにそれは異常で、音楽ではなく見世物だった。退場も鉄の護送車に乗ってで、どこか寒々としたシーンだ。 その後、彼らは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(''67)、「ホワイト・アルバム」('68)、「イエロー・サブマリン」('69)、「アビイ・ロード」('69)と、ビートルズにしか作れない遊びと実験と音楽性の融合したアルバムを残し、「レット・イット・ビー」('70)で解散する。 「レット・イット・ビー」が出た時(高一だった)、誰かが「ビートルズは解散するかもしれない」と言った。嘘だろ?と思ったが、本当だった。 「The Long And Winding Road」を聴くと、今でもその頃のことを思い出す。 ビートルズは確かにチャック・ベリーやリトル・リチャードらの影響を受けてロックンロールから始まったが、やがてそこから脱皮し、もしくは進化させて、新しい音楽を次から次に作っていった。その原点と変化の切っ掛けを辿れるドキュメンタリーで、彼らの心情と生きた時代の両方が捉えられている。 曲を聴くだけでなく、観たらもっといろいろなことを感じられるに違いない。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2017-03-31 17:16
2017年 02月 27日
美術の話をすると、君は美術の本の知識を話す。 ミケランジェロのことにも詳しいだろう。彼の作品、政治的野心、法王との確執、セックス面での好み・・・ だが、システィーナ礼拝堂の匂いを、あの美しい天井画を見上げたことは? ないだろう。 女の話をすれば、君は好きなタイプを挙げる。 女と寝たこともあるだろう。 女の隣で目覚め、真の幸せを感じたことは? 君は難しい子供だ。・・・ 愛の話をすれば 、君は愛の詩を暗唱する。 でも、自分をさらけ出した女を見たことは? 目ですべてを語ってる女。君のために空から舞い降りた天使。君を地獄から救い出す。君も彼女の天使となって彼女に永遠の愛を注ぐ。 どんな時も・・・癌に倒れても。 2ヶ月もの間、病院で彼女の手を握り続ける。 医者も面会規則のことなど口に出せない。 自分への愛より強い愛で愛した誰かを失う。 君はその悲しみと愛を知らない。・・・」 これは心理学者のショーン(ロビン・ウィリアムズ)が、天才だが心を閉ざした問題児のウィル(マット・デイモン)に公園で語る台詞だ。 亡き妻を描いた思い出の絵に心ない言葉を吐いたウィルに対する直球の言葉だ。 別の場面ではこうも言う。 「妻は緊張するとおならをするヘンな癖が・・・眠ってる時もね。 ある夜はその音で犬が目を覚ました。妻も目を覚まして、 『今のは、あなた?』 ・・・死んで2年、ひどい思い出だな。 そういう小さなことが、今では一番懐かしい。 僕だけが知ってる癖・・・それが愛おしかった。 僕の癖も彼女は皆知ってた。 癖を欠点と考える人間もいるが、とんでもない。 愛していれば恥ずかしさなど吹っ飛ぶ。・・・」 (奥さんに出会ってなければ、どんな人生を歩んだかと問うウィルに対し、) 「そりゃ、今も悲しい。 だが、妻との日々は一日たりとも後悔していない。・・・ 彼女に話しかけなかったら今も後悔してただろう。 ナンシーと暮らした18年に後悔はない。 彼女が病気になり、仕事を辞めた6年間もね。 (ワールドシリーズのチケットを友達にやり、デートをして)あの試合を見逃したことなど、何でもない。」 この映画で妻は最後まで(写真さえ)出てこない。 だが、ショーンの語る言葉でその姿や幸福な日々は鮮やかに甦る。 この映画は幼い頃にトラウマを負った一人の若者が、出会いの中で徐々に目覚めていく過程を追った、一種の教養小説のような映画だが、それ以上の映画になり得たのは、この不在の妻の存在、愛と信頼に満ちた幸福な日々の造形、が大きい。 この普遍的な力によってウィルは頑なな心を開き、自分にとって一番大切なものは何かに気づき、旅立つ、痛快な(だが、けして派手ではない)ラストシーンヘとつながる。 (この辺りは、歌が多くバックに流れているせいか、「卒業」('67)を思い出させる) この映画は人を愛することの大切さとすばらしさを静かに教えてくれる。 監督のガス・ヴァン・サントは急がず丁寧に登場人物の一人一人を描いている。 脚本は主演のマット・デイモンで、彼がハーバード大の授業で書いた戯曲を友達のベン・アフレック(この映画でもいい味を出してる)に見せ、共同執筆したものだが、実によくできてて 、才人だなと舌を巻く。また、繊細な演技で、主演も適役だ。 だが、やはりこの映画の最大の功労者は、ロビン・ウィリアムズだろう。 演技と共に、言葉の力をまざまざとみせてくれる。 名優だなと思う。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2017-02-27 19:39
2017年 01月 31日
![]() こんなに激しく、魂を奪われる映画は滅多にないだろう。 私は京劇のファンでもなければ、中国の現代史に関心のある者でもなく、ましてや同性愛に興味のある者でもない。だが、それらを超えて、観る度に心を深く揺さぶられる。 物語の舞台は1924年から77年までの現代中国で、時代に翻弄される二人の男の出会いから別れまでが描かれている。また、一人の女をその間に置くことでさらに陰影濃くパースペクティブに描かれている。 まず始まりの、京劇の一座に多指症の我が子の指を切って預ける母親の凄まじい行為に驚くと共にハートを鷲掴みにされる。 少年は女郎の子と仲間から馬鹿にされるが、ただ一人、小石頭だけが彼を守り、少年はいつしか彼に思慕の念を抱くようになる。 この少年の表情がいい。そして自分のために罰を受けて外の雪中に立たされ、強がりを言いながら戻って来る小石頭に毛布を掛け、肌で温め一緒に寝る。 二人は京劇の師匠から猛特訓を受け、やがて頭角を表す。 この成長期の子役もいい。細面で女形がよく似合う。 そして真打ちのレスリー・チャンだ。 この映画はレスリー・チャンの映画だと言ってもいいくらい、乗り移ったかのような演技を彼はしている。所作が細やかで美しく、劇中の女形を超えて、本当に女になってしまったかのようなのめり込み様だ。 だが、どこまで行っても本当の女にはなれない蝶衣(レスリー・チャン)は母と同じ女郎あがりの菊仙(コン・リー)に小楼(チャン・フォンイー)を奪われ、やがて二人は結婚してしまう。取り残された蝶衣は阿片に染まって行く。(後に阿片中毒を断つ時のレスリー・チャンの迫真の演技は凄まじい!) 時代は満州事変、日本の中国進出、国民党の奪回、共産党政権の誕生と続き、時代の荒波に揉まれながら、三人は微妙な関係を保ち続ける。そしてクライマックスの文化大革命の人民裁判シーンでこの映画の頂点を迎える。 広場に連れ出された小楼は苦しさのあまり蝶衣や菊仙の過去を暴き、そして蝶衣も小楼や菊仙の過去を暴く。(このシーンは観ていてあまりに悲痛で、涙が出て来る) 菊仙はそのショックから、首を吊って自殺する。 最後はそれから11年後の、残された二人が久しぶりに「覇王別姫」を演じるシーンで、蝶衣も劇中の虞姫と同じく剣で自分を刺して死ぬ。 蝶衣は結局、少年の頃に抱いた純粋な思いや、自分自身を支えてくれた京劇への思いを最後まで全うし、殉じる。強くて真っ直ぐで激しい生き方だ。 それに比べ小楼は欲望に弱く、時には豹変し、ある意味人間的だが、蛇行しながら流され続ける。劇中では覇王で男性的だが、心はそうではない。 菊仙は狡猾で交渉ごとにも長け、男勝りのたくましさを備えた女だが、蝶衣への尊敬や気遣いも忘れず、可愛い所もある。だから最期が余計不憫でならない。 脇役や小道具の隅々まで意味が込められ、手抜きがない。また、それらが絡み合うよう構成されているので、とても重層的だ。 私が驚くのは、この映画が香港・中国の合作であるにも関わらず、日本の軍人をこれまでのようにステレオタイプ化して描くのではなく、むしろその後の国民党軍の方が品の無い行為をしたとする下りだ。また、青木(日本の軍人の長)がそのまま生きていたら、彼は(中国の文化を理解し)必ず日本に京劇を持ち帰ったろうと主人公(蝶衣)に言わせるシーンだ。文化大革命のシーンでは自らの歴史をも断罪する。 こうした従来の中国映画とは異なる歴史の描き方があるからこそ、薄っぺらでなく厚みと説得力がある。 同じ時代の中国を扱った映画に「ラストエンペラー」('87)があるが、それは西洋から見た中国で、どこかエキセントリックな物語だったが、この映画は内から見た中国で、重くて深い。3時間があっという間に過ぎて行った。 「覇王別姫」 アジア人にしか描けない圧倒的な映画だ。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2017-01-31 20:34
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