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2009年 03月 23日
![]() 高2の時に映画に目覚めて以来、映画を観るのは日常生活の一部となった。 今の時代はどこにいてもDVDやヴィデオを簡単に借りられ、好きな時に自由に映画を観ることができるが、昔はそうではなかった。とりわけ私より前の世代は大変だったと思う。 だが、幸運なことに、私たちの世代は大学入学直前に「ぴあ」や「シティーロード」が創刊され、そのおかげで今、東京のどこで何の映画をやっているのか、その映画館の行き方や上映時間、料金、俳優、監督のことなど、必要最小限の情報を簡単に得ることができた。そして私は週一のペースで映画館で映画を観るようになった。大体は二番館の2本立て(時には3本立て)だったので、毎月8〜10本くらいは観ていた勘定になる。 映画に目覚めさせてくれたのがニューシネマだったのと、その当時流行っていたのがニューシネマだったので、当然ながら一番多く観たのはニューシネマということになる。 実際、ニューシネマは他のハリウッドやヨーロッパの映画と比べて私の性に合っていた。 その理由はいくつかあるが、一つは、明らかにヒーロー物ではなく、挫折や混沌とした悩み、世の中との矛盾、無気力、無軌道性が描かれているのだが、それが当時、大学生だった私の置かれていた境遇や心情とどこかで合致し、共感を覚えることができたという点にある。 ハッピーエンドではなく、たとえ希望の無い終わり方であっても、それまでの映画とは違って真実を語っているように思えた。 また、その映像感覚や色彩、殺伐とした荒涼感もそれまで無かった物で、深い傷を負うように心に滲み込んで行った・・・ その最たる物が「ファイブ・イージー・ピーセス」('75)だった。 この映画の主人公であるジャック・ニコルソンは、それ以前に「イージー・ライダー」 ('69)で初めて出会い、強烈な印象を受けた。 途中からアル中の弁護士役で出て来て、いきなり「イヤ〜!ニッ、ニッ、ニッ、ツ、ツ、ツ、ギァ〜!インディアン!」と訳のわからないフレーズを叫んで観客の度肝を抜いたり、夜中に焚き火を囲んでマリファナを吸いながら(本当にラリってたという説もある)「・・・怖がってるのは君が象徴しているものさ。(略)君に”自由”を見るのさ。”自由”のどこが悪い?そう、何も悪くないさ。自由を説く事と自由である事は別だ。カネで動く者は自由になれない。アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。個人の自由についてはいくらでも喋るが、自由な奴を見るのは怖い。・・・」と、ろれつの回らない声で血走った目で論じるあたりは凄みがあった。(台詞もアドリブだという説がある) 「イージー・ライダー」はニューシネマの代名詞のようによく言われるが、私にはどこか垂れ流しのロードムービーみたいな感じがして、単調で荒く、もしこのアル中の弁護士がいなかったら、それほど印象に残る映画ではなかったろう。 それに比べ、「ファイブ・イージー・ピーセス」は格段に深みが増した。 ニコルソンの役も、先の明快な反体制的人物像ではなく、優柔不断で、利己的で、無為かつ自堕落で、エリートの出であることを嫌悪しながらどっち付かずのまま、あらゆるものから逃避しようとする主人公なのだ。 物語は悩める青年の自分探しの旅の様相を示すが、その果てに混沌とした悩みから解放されるわけではなく、最後は唖然とするような不条理な形で次への旅が暗示され終わる。 この不毛な浮遊感は初めての経験だった。 しばらくは呆然として席を立てなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 時は経ち、ボブ・ラフェルソンとニコルソンは再び邂逅し、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」('81)をつくることになる。 それは最初のシーンから匂いと陰りのある大人の映画だった。 その後の二人の遍歴と成熟を感じた。 ニューシネマとは違うが、とても好きな、男と女の愛の映画である。 かずま
by odyssey-of-iska2
| 2009-03-23 17:24
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