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2010年 05月 05日
![]() Hello darkness, my old friend I've come to talk with you again Because a vision softly creeping Left its seeds while I was sleeping And the vision that was planted in my brain Still remains Within the sound of silence 中学生の頃、サイモンとガーファンクルの「サウンド オブ サイレンス」を聴いて、初めてコミュニケーションの断絶(もしくは不在)を意識した。 しかし、それはどこか遠い世界のことのようで、本当の意味では理解していなかった。 その後、高校、大学を経て社会に出てみると、如実にそれを感じるようになった。 パブリックだけでなく、プライベイトでもそれを経験すると、増々その重要性を意識するようになった。 この映画はそれを鮮やかに切り取り、今の時代の我々の置かれた状況を示してくれた映画だ。 この映画が封切られた当時、私はヨーロッパを放浪していて、パリに戻ってくる度に、映画館前に貼られたナスターシャ・キンスキーのポスターが私を誘惑した。 「そのうち会いに行くよ」と彼女に言ってるうちに、それは消えて、次の映画に変わっていた。とても失望し、悲しかった。 結局、この映画を観たのはそれから10年後で、東京だった。その時まで、なぜパリとテキサスなのか?はわからなかった。もちろん、テキサスにパリという街があることなど知らなかった。 映画は、その荒涼としたテキサスの砂漠を主人公のトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)が彷徨するシーンから始まる。 彼は記憶を喪失しているのだが、やがて、別れた妻(ナスターシャ・キンスキー)と幼い息子の存在が観客にもわかってくる。ほどなく息子とは再会できるが、その息子へ毎月わずかな送金をして来ることしか妻との接点はなく、やがて息子と二人の、妻探しのロードムービーへ話は展開して行く。(この辺りはヴェンダースらしい) そして、妻がある町のキー・ホール・クラブ(客の側からはブースの中の女が見えるが、ブースの中の女からはマジックミラーで客の姿が見えない個室)で働いていることを突き止める。がショックで、最初は何も告げずに部屋を出て行く。そして翌日意を決し、もう一度会いに行く。このシーンが凄い。 妻との二人の会話を始める前に主人公は自分の席を逆にし、自分も妻が見えない対等な関係に戻すことから始める。そして、ある男と女の物語をゆっくり語り始める。それは個人的な形を装いながら普遍的な愛の物語でもある。やがて妻も相手が夫であることに気づき、自分の心の内を語り始める。二人の会話には、喪失感を伴いながら、どこかに互いを分かり合おうとする愛がある。 このシーンほど現代の孤独と悩める愛の深さを感じたシーンはない。 ニューシネマの極北だろう。 それにしても、この「パリ、テキサス」というタイトルは唐突で謎めいてる。 映画の中では、両親が最初に愛を交わせた所で、主人公が購入したテキサスのパリという街という説明が出てくるが、それは単なる言訳に過ぎないように思う。 むしろ、私がこの映画を観るまでの10年間、ずっとどこかで感じ続けたように、パリ、テキサスという、相反するヨーロッパとアメリカの2つの場所を並べることで、引き裂かれた2人の男女の心の距離を表しているように思える。 全編を流れるライ・クーダーの乾いたスライドギターの音色や揺らいだアコースティックな音色が忘れられない。 結末も単なるハッピーエンドではなく、味わい深い。 かずま ![]()
by odyssey-of-iska2
| 2010-05-05 17:39
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