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2010年 08月 09日
M1(修士1年)のM君は建築のエロスを研究している。 私はそれをとてもおもしろいし、本質的だと感じているのだが、ほとんどの先生には総スカンを食らってるらしい。で、先日、その研究内容のレジュメを初めて見せてもらった。 これが全然ダメだった。何がダメと言って、少しも内容がエロティックではなかったのだ。 学術論文みたいな空疎な手続きと内容で、(他の先生に少しでも気に入ってもらおうと努力したのだろうが、)だったら別の形にするか、純粋に辞めるしかない。 少なくともこの映画を観てから、もっと愛と肉欲とそれを超えた何かについて深く考えることから始めた方がいい、と「ベティ・ブルー」を勧めた。 この映画は衝撃的だった。いきなり最初から本気で“やってる”のだから。そこに「・・・このような暗い画面に修正させられたのは監督の本意ではない」というような意味のテロップが流れるが、そんなことはどうでもいい。十分に観客の心を鷲掴みにしている。 その後もジェットコースターに乗ったような感じで、あれよあれよという間に凄いスピードで結末まで突き進んで行くのだが、その先に残った物は、不思議なくらい純粋な、聖性に満ちた鎮かな感覚なのだ。 つまりこの映画は、凡百の恋愛映画とは違って、最初はセックスによる興味本位の繫がりに過ぎなかった男と女が、やがて本当の愛を育み昇華して、その果てに精神に異常を来した女の尊厳を守るため男が病院に忍び込んで殺すという、現代の神話としか言いようのない、激しく本能的で純粋な物語なのだ。 こういう生き方はもちろん現実には無いだろう。映画にしかできない特権だと普通の人は言うだろう。だが、私は惹かれる、こうした激しく純粋無垢な生き方に。そして憧れる、怠惰な日常を本能的に打ち破っていく二人に。 たぶん、ベアトリス・ダルがいなかったら「ベティ・ブルー」はできなかっただろう。 それくらいこのデビュー作でのベアトリス・ダルは自由奔放で、本能的にベティを演じている。というか、ベティを生き切っている。またこの当時のベアトリス・ダルはエロティシズムと聖性を同時に兼ね備えていた。だからこのような奇跡の映画ができた。 実はこの作品は発表当時のバージョンと、6年後に監督自らが手を加え1.5倍に長くなった「インテグラル」バージョンとがある。前者は圧倒的にベティ(ベアトリス・ダル)の物語なのだが、後者は彼女に寄り添った男ゾルグ(ジャン=ユーグ・アングラード)から見たベティの物語となっている。 どちらがいいとかではなく、いろんな発見があり、どちらも私は好きだ。 この映画を最初に観たのは新宿の歌舞伎町だった。 先日、用があり、久しぶりにその場所にいったら、映画館は既に無くなっていた。 愕然とした。 ベティとゾルグを追いかけ、街を彷徨した・・・ かずま
by odyssey-of-iska2
| 2010-08-09 14:16
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