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2011年 08月 10日
![]() 淀川長治の文章で忘れられない一節がある。 彼が初めてオードリー・ヘプバーンに出会った時の話だ。 アポを取り宿泊先の帝国ホテルに訪ねていった。 部屋のドアをノックすると「どうぞ」という声が聞こえた。 ドアを開けると、窓辺でブラウスに自らアイロンをかける彼女の姿が見えた。 その清楚で可憐な姿を見て一瞬で虜になり、インタビューする事を忘れてしまったそうだ。 この話を読んで以来、私もアイロンをかける女に憧れるようになった。 オードリー・ヘプバーンの名をいつ頃覚えたかは記憶に無い。(物心がついた頃には既に有名で知っていたように思う) 彼女を一躍世界的に有名にした「ローマの休日」にしても、初めて観たのはいつどこなのか覚えていない。 小学生の時なのか、中学生の時なのか、TVの名作劇場だったのか、それとも名画座だったのか・・・いずれにせよ、DVDも合わせると、これまで7、8回は観たように思う。 ストーリーは知ってるのに何度でも観たくなるのは、単純にオードリーに(アン王女に)会いたくなるからだ。 それほど、この時のオードリー・ヘプバーンはすばらしい。素のままで気品と優雅さに溢れ、可憐で愛らしい。 好きなシーンはたくさんあるが、中でもお気に入りは、ベスパに乗って街に繰り出すシーンと、「真実の口」でジョ−(グレゴリー・ペック)の冗談に本気で驚くシーン(監督とペックが仕組み、オードリーは事前に何も知らされなかった)と、サンタンジェロ城前のダンスパーティーでの乱闘シーンだ。ここでのオードリーの弾けっぷりは凄い!そしてとても可愛い・・・昨今のTVや映画に出て来るタレントと違い、媚び諂いの無い、本当に純真な可愛さだ。 そして、テヴェレ川に飛び込み難を逃れた二人は、岸に上がり、寒さの中初めて抱擁する・・・ だが、王女は元に戻らなければならないことを悟り、やがて二人に別れがやってくる。 ラストの宮殿での謁見シーンはこの映画の白眉だ。 ユーモアと共に大人の男と女の気品に溢れ、見終わった後いつも深い余韻が残る。 ![]() この映画は(他にも私的な思い出があり)本当はブログに書かないつもりだった。 それを覆したのは、この映画の脚本のイアン・マクレラン・ハンターが、実はダルトン・トランボだったことを最近、NHKの番組で知ったからだ。 ダルトン・トランボの名は(今の人は知らないだろうが、)東西冷戦の影響で始まった「赤狩り」の最初の標的にされ、ハリウッドから追放されたメンバーの一人だ。 (その後、復権し、初めて監督した「ジョニーは戦場へ行った」('71)は反戦映画の代表的な作品である。私も大学時代に名画座で観てショックを受けた。戦争で手足と五感を失った主人公が頭をベッドに打つけてモールス信号で自分の意思を外の世界に発するという内容なのだ) だが、この当時はそれどころではなかった。追放で貧困を強いられ、偽名を使って脚本を書き続けなければ生活が成り立たなかった。 そうした境遇の中で、王女と新聞記者のラブロマンスは生まれた。 なんというパラドクス、なんという想像力の凄さなのだろう! 監督のウィリアム・ワイラーはこの脚本を誰が書いたかはもちろん知っていたに違いない。彼は共産主義者ではないが表現の自由のために「赤狩り」に真っ先に反対して抗議団体をつくった人だ。 そして、そのワイラーの考えに賛同し、真っ先に抗議団体に参加したのがペックだ。 オードリーはオーディションで選ばれたが、そのテストフィルムには、戦時中にファシズムに抗し、公演で得たお金でレジスタンスを支援した少女時代を語る姿が残されている。 ただの可愛いだけの女では決してない。 こうした気骨のある人々が集まり、アメリカではなく外国のローマで、(「赤狩り」で追放された人達もバックに加わり)できたのが「ローマの休日」だ。 (だからタイトルの後に「撮影、編集のすべてをローマでおこなった」という意味深な言葉が添えられている) 改めて観ると今まで見えなかったものが見えてくる。 宮殿からローマの街へ抜け出す王女の姿はトランボの自由への希求だ。 彼女の無邪気さ、純真なおこないはトランボが本当にやりたかったことだ。 そして彼女の言葉の一つ一つはトランボの心からの言葉だ。 (ワイラーが自ら脚本に加えた)嘘をついた者は手を失うという「真実の口」のシーンは、二人の微妙な関係を暗示するだけでなく、当時のハリウッドへ向けたメッセージでもある。 いい映画は二重三重に深い意味を持ち、何度観ても新しい発見がある。 だからまた観たくなる。 かずま ![]()
by odyssey-of-iska2
| 2011-08-10 20:37
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