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2011年 08月 29日
今日はイングリッド・バーグマンの生まれた日だ。(そして亡くなった日でもある) だから「カサブランカ」の話をしようと思う。 つまり、いい女といい男の話をしようと思う。 この映画も初めて観たのはいつどこなのか覚えていない。 そしてどのくらい観たのかも覚えていない。 ただ、一番回数が多いことだけは確かだ。 幼かった私はこの映画から多くのことを学んだ。 (淀川長治流に言えば、映画は人生の学校だった) ボギーからは男の生き様を、バーグマンからはキリッとした女の美しさを学んだ。 つべこべ言うのは野暮なので、詳しくは映画を観てもらいたい。 そしてもしそれがわからなかったら、可哀想だがそいつは人間ではない。 情もへったくれも、ロマンも矜持もない、死んでも仕様がない奴だ。 少なくともそういう奴とは私は付き合いたくない。 ボギーの出演した映画はどれを観てもボギーだとしか言いようがないほど、ハンフリー・ボガートの演技と台詞はいつも同じに見え、聴こえる。 単調だと言ってるのではない。インパクトが強烈過ぎるので、皆ボギー色に染まってしまうと言ってるのだ。 それがバシッと決まった時にはいいが、違和感として感じる場合もある。 (「麗しのサブリナ」('54)はどう見てもオードリー・ヘプバーンがボギーと結びつくとは思えない、少なくとも私には。両方とも好きな俳優だが・・・) 反対にこの映画のバーグマンや、「三つ数えろ」('46)、「キー・ラーゴ」('48)のローレン・バコールとはバシッと合ってる。そしてカッコイイ。 ボギーの映画で異色なのは「アフリカの女王」('51)だ。 ここでのボギーは寡黙なダンディとは正反対の、おんぼろ船の薄汚れた酔っぱらい船長役を熱演し、ユーモアもたっぷりだ。(驚くべきことに、カバやチンパンジーの真似をするシーンさえある) いつもと違い弾けた理由は(演技派のキャサリン・ヘプバーンが相手で、アフリカロケで普段の生活から解放されたせいもあるが、)「赤狩り」への反発もあったかもしれない。 「ローマの休日」でも触れたが、この当時のハリウッドは「赤狩り」の嵐が吹き荒れていた。 監督のジョン・ヒューストンとボギーは、左翼ではないが、映画の表現の自由を守るため「赤狩り」には批判的だった。そのため彼らは次第に自由を束縛され、やがてボギーは沈黙する。ヒューストンはメキシコに亡命し、イギリスに活動の場を移す。(この映画もイギリスとアメリカの合作である。わざわざアメリカ船の物語ではありませんよとユニオンジャックの国旗が出て来るシーンには意地を感じる) このアフリカロケ中、二人は酒ばかり飲んで本当に酔っぱらいながら演技と演出をおこなっていたという。ヒューストンに至ってはその上、映画そっちのけでハンティングに夢中だったという。 だが、できた映画は反抗的で自由な彼らの矜持をきちんと表している。 私はこういう頑固で芯の通った男達が好きだ。 そういう意味では、バーグマンも頑固で芯の通った女だ。 「カサブランカ」('42)、「誰が為に鐘は鳴る」('43)、「ガス燈」('44)、と連続してハリウッドの有名な映画に出てスターの地位を築きながら、単なる美人女優であることに飽き足らず、ロッセリーニの「無防備都市」('45)を観て傑作に参加したいと、彼に「イタリア語で知っている言葉はTi amo(あなたを愛する)だけです」という手紙を書き、家庭も地位も捨ててローマに旅立ってしまうのだから。 真に無防備だ。 おかげで不倫のスキャンダルでハリウッドから追放され、ロッセリーニと撮った映画はすべて興行的に失敗に終わってしまう。結局イザベラを生んだ後彼とは離婚する。 この辺りの詳しいことは自伝の「マイ・ストーリー」に出て来る。 (余談だが、この自伝の中には、パリ解放当時、パリでロバート・キャパと親密だったことが告白されている。キャパは私のアイドルで、二人が結びついていたらその後の展開は多いに変わっていただろう。 バーグマンはキャパのギャンブル的で死に急ぐ生き方に危険を感じたに違いない。 だが、それはどこかで彼女のその後の生き方に影響を与えた) 幾年かの空白を経てハリウッドに復帰し、「追想」('56)で映画にカムバックする。 この映画のバーグマンはどこか台詞がキツく早口で、かつての美人女優とは異なる面を見せる。演技派への脱皮とまでは行かないが、その意思が十分に感じられる。 そして「オリエント急行殺人事件」('74)でアカデミー賞助演女優賞を受ける。 ここでのバーグマンはどこかエキセントリックで表情もこわばり、かつての美人女優の面影はほとんど無い。だが、正直、このオールキャストの映画の中では、バーグマンの演技の印象はそれほどではない。 バーグマンもそれを感じてか、授賞式で他の3人の候補の演技を一人一人褒め、自分が相応しかったかと率直に述べている。その謙虚な態度に逆に感動した覚えがある。 バーグマンが心底自分の演技に満足したと自身で語ったのは「秋のソナタ」('78)だ。 このベルイマンの映画でのバーグマンは確かに凄い。 顔の表情、台詞の端々にまで神経が行き渡り、高慢で家庭を顧みず奔放な人生を歩んで来たため娘の怒りの爆発に会い、恐れたじろぐピアニストを見事に演じている。 まるで自分の人生を振り返るかのように・・・ リヴ・ウルマンとのぶつかり合いは舞台を観ているかのようだ。 顔の染みや皺のアップも厭わず、かつての美人女優から完璧に脱皮し、凄みさえ感じさせる。 だが、これが遺作となる。それから4年後、彼女は亡くなる。 バーグマンは最後の最後に望みをかなえた。 ボギーやバーグマンのように 単なる映画上のことだけでなく 実際の人生でも毅然とした生き方をした人間が好きだ。 そうありたい。 かずま
by odyssey-of-iska2
| 2011-08-29 17:07
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