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2013年 01月 26日
私はAVは観ない。 もちろん観たことはある。 だが、あれは映画ではない。 ただの刺激物で、パチンコやスロットマシーンと同じだ。 2時間たっぷりエロスで酔わせてくれた上に、何かを感じさせてくれる、考えさせてくれるというのであればもちろん観る。 だが、そうでないのなら時間の無駄だ。 本来、性と恋愛と子供を産む行為は本能的に結びついている。そしてその総体が人生だ。 だが、AVはそれらを切り離し、一片だけを取り出してただの消費物にしている。 映画とは似て非なるものだ。 初めて18禁の映画を観たのは、大学受験に失敗し、盲腸騒ぎから復活してお茶の水にある予備校に通い始めた頃だった。 私は毎日授業に出てノートを採り、勉学に励んだ・・・と言いたい所だが、その反対で、ほとんど授業をサボり、お茶の水の古本屋街で午前中見つけた本をその外れの喫茶店で午後読み耽るのを日課としていた。 ある時、同じ喫茶店でほとんど同じようなことをしている奴がいることに気づいた。意気投合して仲良しになった頃、そいつが「ポルノを観に行こう」と言い出した。 本当はドギマギしたが、平静を装い、「ああ、観に行こう」と言った。 どういうわけか渋谷に行った。そして題名もろくに見ずに映画館に入った。 昼間なのにおじさんたちの人いきれでムンムンしていて、気持ちが悪くなった。 終わったらすぐに出よう、そう思って観始めた。 ところが途中からどんどん引き込まれて行き、観終わった時には不思議な澱のようなものが心に残った。 それが神代辰巳の「恋人たちは濡れた」だった。 この映画は出だしからして不思議だ。 ある町に男がやって来る。皆は「お前、克だろ?」と訊くが、男は「違う!俺はそんな奴は知らねえ!」と答える。そして喧嘩になる。 やがて男は草むらでヤッテル同年代のカップルと出会い、女を紹介される。 ポルノ映画館で働く男はそこの女主人ともネンゴロになるが、飽き足らず、とうとう町を出ようとする。 ラストシーンはもっと不思議だ。 カップルの彼女と仲良くなった男は港で彼女と自転車に乗りながら言う。 「実は俺、人を殺したんだ」 すると突然ヤクザのような男が横陰から飛び出して来て、男をドスで刺す。 そうとは知らない女と、刺されて(たぶん死んだ)男を乗せた自転車はゆっくりそのまま海の中へ消えて行く・・・ 単なる通過儀礼として入ったはずの映画館で受けたこの不条理な感覚は、だがその後、私の中に確実に残っていく。 大学院に入って間もない頃、研究室で雑談をしていてどういうわけかポルノ談義になった。 私は、初めて観たポルノがとても不思議だったという話をした。 すると自称ポルノ評論家のMさんが、 「みぞぶち、それは違う。ロマンポルノはポルノではない。芸術だ」と言った。 そして長々と日活ロマンポルノの歴史と変遷を話してくれた。 先日、昔の友達と飲んでた時にふとロマンポルノの話が出た。 帰りがけにTSUTAYAに寄ると、このDVDが何と一般邦画のドラマの棚に並んでいた。 隔世の感がした。 借りて来て久しぶりに観た。 確かに今の時代からすると全然たいしたことはない。 でも、私を惹き付けたあの不条理な感覚は今観ても新鮮だ。 そして今だからこそわかるいろんな発見がある。 この映画はいろんな名画のワンシーンを思い出させてくれる。 男が喧嘩で殴られ路上で悶える姿は「灰とダイヤモンド」のラストのようだし、砂浜でヤッテル二人を見ながらカップルが語り合うシーンは「男と女」のようだ。 ポルノ映画館の女主人が男を追いかけたあげく力尽きて倒れるシーンは「勝手にしやがれ」に似ているし、その女主人が首つり自殺を図って失笑を買うあたりは「気狂いピエロ」のラストに似ている。 カップルと男がバスに乗ったら乗客は老人ばかりというオチは「卒業」だし、3人の気ままな振る舞いとそのお話という設定は「冒険者たち」だ。 ラストの二人を乗せた自転車が海に入水するシーンは「太陽がいっぱい」の死体が海から上がって来る逆バージョンだし、全体のロードムービー的で不条理な感覚はアントニオーニ的だ。 だが、ただパクってパロディを作ったというのではない。 それらを束ねてさらに先へ進もうとする捨て身の勇気に私は共感を覚える。 たぶん、神代辰巳は干されて心をカラカラにし、映画に飢えていたのだと思う。 彼のデビュー作「かぶりつき人生」('68 田中小実昌の小説を映画化した物で、ポルノではない)は興行的に大失敗し、監督のオファーは以後パタリと無くなる。 当時、斜陽化の途中にあった日本の映画産業は更にその速度を増し、日活も監督やスタッフを人員整理して短期間に低予算でポルノを大量生産する路線に転換する。 そして再び神代辰巳に出番がやって来る。 確かに短期間に低予算で作られただけあって荒いし、稚拙な部分はたくさんある。 だが、逆に瞬発力と集中力、そして野心と飢えが充満している。 この映画には彼のこうした屈折した心情と映画への深い愛が感じられる。 そして彼を支えたスタッフ、俳優、裏方さん達の映画づくりへの並々ならぬ情熱が感じられる。 こういう人達の努力と格闘があったからこそ、日本映画は滅びることなく、今日の再びの隆盛を見ることができた。そしてここから崔洋一、周防正行、相米慎二、滝田洋二郎、根岸吉太郎らは育って行った。 この映画は、学生運動が頓挫し閉塞感に覆われた時代の状況を色濃く反映しながらも、そこから突き抜けようとした、青春映画の傑作だと思う。 かずま
by odyssey-of-iska2
| 2013-01-26 21:15
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