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2013年 10月 31日
![]() 映画史上で多くの役者に一番影響を与えた役者はマーロン・ブランドではないかと思う。 極端な言い方をすれば、マーロン・ブランド以前と以後とで演技の質は変わってしまう。 嘘だと思うなら「欲望という名の電車」(‘51)を観ればいい。 このテネシー・ウィリアムズの戯曲を映画化した作品で主役のブランチを演じたヴィヴィアン・リーはアカデミー主演女優賞を、妹のステラを演じたキム・ハンターはアカデミー助演女優賞を、ブランチに恋するハロルドを演じたカール・マルデンはアカデミー助演男優賞を貰う。そして映画出演2作目でブランチの過去を暴くスタンリー役のマーロン・ブランドは何も貰わない。 だが、(観れば誰でもわかることだが、)圧倒的なのはブランドの凶暴さと次に何が起こるかわからない予測不可能で不確実な演技だ。それに比べると、堅実で老獪な舞台俳優でもあるヴィヴィアン・リーの演技は古臭く、両者の間に立つキム・ハンターとカール・マルデンの演技は中途半端でさえある。 多分、ブランドの演技はあまりに新し過ぎて、アカデミー賞を選ぶ凡庸な選考委員達はそれをどう評価して良いかわからなかったのだろう。 (さすがに「波止場」('54)の時点ではそれはわかり、アカデミー主演男優賞を貰うことになる) だが、賞を貰うことが重要なのではない。その後、ジェームズ・ディーンやポール・ニューマンに圧倒的な影響を与え、ダスティン・ホフマンやアル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロなど、多くの演技派の根幹となる特異な感情表現の表出を誰よりも先に会得し、その手本を示したことが重要なのだ。 もちろん、リー・ストラスバーグの「アクターズ・スタジオ」のメソッド演技法や監督のエリア・カザンの指導の影響もあるだろうが、ブランドはそれらを頭で考える以前に本能的に感じ演じているように思う。だから自然でダイナミックで、観ていて人間存在の不可思議ささえ感じてしまう。 こうした特質は彼の出演したすべての映画で感じることができる。 だが、天才にありがちな生来の短気さとむら気さと反抗的な態度から次第に干され、作品に恵まれなくなる。(それでも'71のマイケル・ウィナーの「妖精たちの森」はブランドにしかできない異常な演技で、ダメになったとはとても思えない) そして'72の「ゴッドファザー」のドン・コルレオーネの演技で劇的な評価を得、再びカムバックする。そして「ラストタンゴ・イン・パリ」に出る。 ベルナルド・ベルトルッチはパゾリーニの助監督で映画人生をスタートした。 だから異常なのはあたりまえなのだが、初期の「革命前夜」('64)は生まれ故郷のパルマを描いて瑞々しい。 だが、「暗殺のオペラ」('70)、「暗殺の森」('70)と、立て続けに人間存在の不可解さ、不条理さを暴いて、一挙に世界的な映画監督となる。 確かにこの頃のベルトルッチはおもしろい。 天才であることをきちんと証明している。 だが、いきなり最高点に達したためか、その後は迷走し、少しずつ下降していく。 「1900年」('76)は重厚なつくりだが重過ぎる。 「ラストエンペラー」('87)は一大叙事詩でうまくできているが、ベルトルッチらしさを感じない。 「シェルタリング・スカイ」('90)に至っては、ラストシーンで何とかベルトルッチらしさを出そうとしているが、成功しているとはとても思えない。 (ただ、これらの撮影を担当したストラーロの映像はどれもが美しい) それらに比べ、「ラストタンゴ・イン・パリ」('72)は前2作の影響が感じられ、不可解で不条理でおもしろい。 この映画で中年男のブランドの相手役ジャンヌに起用されたマリア・シュナイダーは(ほぼ新人と言えるのに)天然で無垢な、それでいてどこか不穏なブルジョアの若い娘を好演している。(というか地で演じている) アントニオーニの「さすらいの二人」('74)ではそれがさらに成功している。 この時、この瞬間でしかできない無垢な演技をして、映画の不条理さを際立たせている。 この3者が組み、しかもストラーロが撮ったのだから悪いわけがない。 映画の公開時はやたらセックスの話ばかりが先行したが、今の時代から見ればたいしたことはないし、むしろその芸術性や人間存在に深く食い込んでいく姿勢にはこの時代の映画づくりのすばらしさを感じる。 ブランドとマリア・シュナイダーの変幻自在な演技、特にブランドの気まぐれで鋭角的で瞬時に変わりながら悲哀を増して行く演技には、彼がそれまで培ってきたことの集大成を感じる。 全体を覆う黄昏の赤い光や色もすばらしい。 ガトー・バルビエリのサックスも秀抜だ。 私はこれまでこの映画を3回観た。 2回は東京、後の1回はパリで。 1984年、ヨーロッパを放浪していた時、パリで夕暮れ時に偶然ビルアケーム橋のそばを通った。頭上の橋桁を地下鉄が騒音をまき散らしながら駆け抜け、車体に夕暮れの光が映った。 その瞬間、私はマーロン・ブランドのように空に向かって発狂したくなった。 その夜、映画館で「ラストタンゴ・イン・パリ」を観た。 初めてこの映画を身体で実感した。 かずま
by odyssey-of-iska2
| 2013-10-31 13:17
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