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2014年 07月 23日
![]() 以前、ヴィクトル・エリセの「ミツバチのささやき」について書いたが(2010.8.31)、最近ロルカの詩や本を読み返しているうちにDuende(ドゥエンデ)という言葉に出くわし、あの時は読みが浅かったなと思い返したので、それを補っておきたい。 「ドゥエンデ」とは本来は、民家に住み家中を荒らしたり大音響をとどろかせたりすると言われている想像上の精霊、化け物、悪霊をさすらしいが、さらに妖しい魅力、魔力、霊感という意味もある。 フラメンコでどんどん盛り上がって行き、ある種のトランス状態になった瞬間も「ドゥエンデ」と言うが、これはつまりドゥエンデが乗り移ったからだ。 ロルカはそれを芸術全般にまで拡張し、こう言っている。 「‥‥あらゆる芸術にドゥエンデは宿ることが可能ですが、もっとも広く宿るのは、当然のことですが、音楽であり、舞踊であり、朗誦される詩です、なぜならこれらは演奏したり演じたりする生きた肉体を必要とするからであり、未来永劫にわたって生と死を繰り返す形式であり、今という正確な瞬間のうえにその輪郭を浮かび上がらせるからなのです‥‥」(「ドゥエンデのからくりと理論」) ロルカ(1898〜1936)はスペイン内戦で最初に犠牲となった芸術家で、エリセ(1940〜)は時代はダブっていないが、何らかの影響をロルカから受けているように思う。 この映画も、次の「エル・スール」('83)も、スペイン内戦は通奏低音に流れている。 また、この映画の原題「El espíritu de la colmena」(蜂の巣の精霊)は、「蜂たちが従っているかのように見える、強力で不可思議かつ奇妙な力、そして人間には決して理解できない力」を表現したメーテルリンクの言葉から来ているとエリセは語っている。 それはある意味「ドゥエンデ」と同じだ。 映画に戻ろう。 この映画は最初に村に移動巡回トラックがやってきて「フランケンシュタイン」の映画が映し出されるシーンから始まる。そして森の中でフランケンシュタイン(精霊)と出会い、昏睡状態で発見されたアナが深夜、暗闇の精霊に向かってささやくシーンで終わる。 途中、村のはずれの一軒家に兵士が逃げてくるシーンがあるが、姉のイザベルから嘘を教えられたアナは彼さえも精霊だと信じ、リンゴを差し出し、オルゴール時計で一緒に遊ぶ。 この映画は「ドゥエンデ」を直接的、間接的に描きながら、ある寓話を描こうとしている。「ドゥエンデ」の力を借りながら、当時(スペイン内戦がフランコの勝利で終結した直後の1940年)のスペイン、スペイン人のおかれた状況を描こうとしている。 1940年、つまりエリセの生まれた年だ。 アナの純粋な目と心は当時のエリセが感じたものだろう。 エリセは兵役についた後、映画監督、脚本家になる決心をし73年にこの映画をつくった。(まだフランコは生きていて、独裁政治が続いていた時代だ) 寓話であるのは検閲を逃れる術だが、それによって逆に普遍的映画に昇華されている。 「ドゥエンデ」はフランコではない。 日和見主義者のフランコは「ドゥエンデ」と呼べるほどの大物ではない。 やはり「ドゥエンデ」は、良い時も悪い時もあり、陽気で尊大でありながら、多くは矛盾をはらみ、血の気の多さと気の短さで暴走と破壊と創造を繰り返してきたスペイン、そしてスペイン人そのものとしか言いようがない。 ゴヤ、ピカソ、ダリ、ロルカ、ブニュエルらに脈々と受け継がれて来た血だ。 それとは対極の澄んだ静かな目と心でエリセはこの映画をつくった。 (だから初めてスペイン映画だと知った時には驚いた) 何度でも観たくなる深い映画だ。 かずま ![]() ![]()
by odyssey-of-iska2
| 2014-07-23 23:16
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