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2014年 11月 25日
![]() ![]() ![]() 「魔法の映画はこうして生まれる」という、ディズニー・アニメーション・スタジオとそれを制作総指揮するジョン・ラセターに密着取材しながら、ヒットアニメがどのようにして生み出されるのかを追った番組だ。 ジョン・ラセターは3DCGアニメの先駆者の一人で、ピクサーで「トイ・ストーリー」('95)を監督してヒットさせ、その後もピクサーとディスニーの両方でヒット作を連発する敏腕プロデューサーだが、番組内ではその日常を追いかけながら、こうした作品が生まれる秘密をものづくりの観点から解き明かしていた。 CGの進歩とそのテクニックに関する詳細はおもしろかったが、実はそれは大したことではない。一番大切なのは全員で納得するまでストーリーを何度でも練り直す作業、そして最終的には古参の手描きのアニメーターに表情の感情移入が上手く行ってるかどうかを見てもらい、人間の目と心でチェックする作業だ。 けして技術至上主義ではなく、むしろ人間に近づける努力、共感してもらう努力を強く感じた。今後ハイテク社会ではこうした心遣いがますます大切になって行くだろう。 私はアニメオタクではないし、マンガもアニメもとっくに卒業した人間だが、かつては、特に子供の頃は熱狂的なファンだった。 以前、私は「鉄腕アトム」で育ったと言ったが、それ以前の物心が付くか付かないかの頃(たぶん、4、5才だった)から「ディズニーランド」というTV番組を熱心に観ていた。 それは金曜日の夜8時から日本テレビでプロレスと隔週におこなわれる番組で、「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」「未来の国」の4つの内の1つが毎回繰り広げられた。 もちろん、私の興味は「おとぎの国」で、その回は食い入るように画面の中のアニメに毎回見入った。(おかげで今でも憶えているシーンはいくつかある) そして、それが終わる時にエンディングのテーマが流れると、毎回この世の果てのような絶望的な気持ちになった。(あたりまえだ!つぎに「おとぎの国」があるのは早くて2週間後、遅いと8週間後なのだから) そうやって、ウォルト・ディズニーのアニメとは初めから深く慣れ親しんだ。 ついでに言えば、「ポパイ」や「フィリックスくん」「空飛ぶロッキーくん」「宇宙家族ロビンソン」など、アメリカのアニメで私達は最初は育った。(だから「鉄腕アトム」は革命だった) 小学生の頃はよくパラパラマンガをノートの端に描いてみんなに見せた。これがそのまま続いていたらジョン・ラセターのようになっていたかもしれない。 だが、ラセターと私の一番の違いは、ラセターは映画「トロン」を観てCGアニメの未来を感じ、そちらへ真っすぐ向かって行ったが、私はテクノロジーへは少しも興味がなく惹かれない点だ。これはその人の性格であり、好みの問題だから、いかんともし難い。 だが、そういう私でも(とっくに卒業したと思っていたのに)観て、「オオッ〜!」と声を上げたアニメがある。 フレデリック・バックの「木を植えた男」('87)である。 このアニメは渋谷のパルコ劇場で観た。 観始めてすぐに観入った。すべてが色鉛筆やパステルのやわらかいタッチで描かれてて、光や風が微妙に捉えられ、まるで印象派の絵画を観ているようだった。 そしてそれらがなんと動くのだ!(あたりまえだ、アニメなのだから) 特に、森の中に光がキラキラ差し込み、風でサラサラ樹々の動くシーンは最高だった。 その絵の豊かさは想像を遥かに超えてて、ナレーションや字幕はあってもなくてもどうでもよかった。(実際、ストーリーは単純なので、話の理解は簡単だった) 30分間ほどの上映だったが、濃密な至福の時間を味わった。 その後このアニメは絵本になったが、(もちろん静止した画ではこの感動は味わえないので、)「木を植えた男」は絶対アニメで観ないとダメだ。 フレデリック・バックは遅咲きの作家で、彼がアニメを始めたのは40代の半ばである。 51才の時に発表された「イリュージョン」('75)を観ると、既に文明批評の寓意性を強く感じるが、それ以上に洗練されたヨーロッパの匂いがする手描きのグラフィックに驚く。 それは「タラタタ」('76)や「トゥ・リアン 」('78)でも同じだが、「クラック」('81)になると、「木を植えた男」につながるパステル調の画が入って来て、バックの実験精神を感じる。 「木を植えた男」の後もバックはその主題をさらに押し進め、カナダのセント・ローレンス川の歴史と自然、人為的な破壊と未来への共存の願いを込め、「大いなる河の流れ」('93)をつくる。そして昨年亡くなった。 高畑勲の「かぐや姫の物語」('13)の一部にはバックの影響を強く感じる。 加藤久仁生の「つみきのいえ」('08)のような優れた短編アニメが生まれたのも、バックのような先人がいたからだ。 大切なのはハイテク技術ではない。手描きの絵もりっぱな技術だ。 そしてジョン・ラセターもこだわるように、人間の目を通して心に訴える中味だ。 それが無ければすぐに飽きられるし、何も残らない。 そして心に残ったものだけがその人の糧になり、その人を育てる。 そういうアニメであれば、まだまだ私も観たい。 かずま ![]()
by odyssey-of-iska2
| 2014-11-25 15:33
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