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2015年 07月 31日
![]() 「ルンタ」を観た。 「ルンタ」とは風の馬を意味するチベット語で、2009年以来増え続けるチベットでの焼身自殺(正確には中国政府の弾圧に対する焼身抗議)を扱った映画だ。 だが、それ以上に私にはこの映画は特別な映画だ。 映画の語り部として終始登場する中原一博がかつてよりよく知る仲間だからだ。 彼の人生史を垣間みるようで、観ていてとても興味深かった。 中原と出会ったのはいつの頃か正確には覚えていない。たぶん、大学院の吉阪研時代に学部生だった彼が研究室にやってきて話をしたのが最初だと思うが、もしかしたらその後ヨシザカが亡くなり、高田馬場に先輩達が借りてた部屋で会って話をしたのが最初かもしれない。 中原は文学部を卒業した後どういうわけか建築学科に学士編入してきた変わり者で、学年は私の方が上だが、年は彼の方が2つ上だ。物怖じせず何でもズケズケ言う性格で、その頃から放浪癖があり、型に嵌まらない生き方をしていた。 彼が80年代の初めからチベットや北インドに行って、ダライ・ラマの建築家として亡命政府の建物をこつこつつくり始めたのはよく知っている。日本に戻って来る度に「金が無いからカンパしてくれ!」と言われてみんなでよくカンパした。そのうち、下級生の可愛いMちゃんと結婚してダライ・ラマのいるダラムサラに移住してしまった。 一家で久しぶりに日本に里帰りした時みんなで山中湖にキャンプに行ったが、その時二人の小さな子供達が示した行動は衝撃的だった。いつのまにか木に登り、虫を見つけると澄んだ目でジーと見つめ、やがてアーンした。自然と同化しながら遊ぶ姿は日本の子供とは明らかに違っていた。 その子供達をMちゃんはインドで産んだが、その理由が病院での出産代が日本より断然安いから、というのも驚きだった。旦那だけでなく女房も子供ももう完璧に向こうの人だ。 中原は亡命政府の建物や学校、僧院などの設計、建設に立ち会った後、チベットからインドに亡命してきた元政治犯を支援するNGO「ルンタプロジェクト」を立ち上げ、自ら資金を集めて彼らの学習、就労支援をおこなうルンタハウスを建設する。 さらにチベット人の非暴力の闘いを発信するサイトを立ち上げ、焼身抗議が始まってからはすべての焼身者の詳細なリポートを発信し続ける。 監督の池谷薫と中原との出会いは、四半世紀前のダライ・ラマがノーベル平和賞を受賞した時のダラムサラで、ドキュメンタリーTVの撮影が切っ掛けだという。それ以来、池谷は中国政府の弾圧で悪化するチベット状況をドキュメンタリーで撮ろうと試みるが、撮影許可や資金難で何度も挫折する。だが、焼身抗議が始まり待ったなしの状況で撮影を決行する。 このドキュメンタリー映画は、外見はとても恰好いいとは言えないとっくに中年を過ぎた二人の男が手を組み、熱い心と武骨な善意をひた隠し冷静を装いながら淡々と撮った映画だ。 前半はダラムサラ、後半はチベットで撮影されたが、特に後半のチベットの遊牧民達の生活と美しい自然は印象深い。 私はこの映画を観て、初めてチベットとモンゴルは大平原を通じて繋がっているのだということを知った(というか、実感した)。 だが、1949年に中国共産党は国民党との内戦に勝利するとすぐにチベットに侵攻し、非暴力で無抵抗だったチベット人から自由を奪う。そして59年に生命の危機にあったダライ・ラマがインドのダラムサラに亡命すると、自治区の名の元に中国に併合してしまう。 もちろんチベット人に自治は無い。それどころか遊牧を禁止して都市への定住化を計り、チベット語を禁止して漢語を浸透させようとする。そして漢民族の移住を積極的におこない、経済の力でチベット人の伝統と生活を破壊する。 こんな理不尽なことをされたら、私だったら自爆テロか自由な国への亡命しか考えない。だが、チベット人はダライ・ラマの教えをひたすら守り、仏の力で心の平和を保つ努力を続ける。その崇高な魂と品性の高さには驚嘆と尊敬を禁じ得ない。 映画からはこうしたチベット人の置かれた現状と困難さがヒタヒタと伝わってくる。 やがてそれは彼らへの共感と現状打破の願いへ変わって行く。 最後に誰もいない谷で叫ぶ中原の言葉は、映画を観るほとんどの人の心を代弁している。 映画に合わせて中原が来日したので、仲間内で彼を囲む会があった。 久しぶりに会う中原は昔とまったく変わっていなかった。 ぶっきら棒で、饒舌で、話し下手で、それでいながらズケズケ言う。 いつ死んでもいいような生き方をしながら、それをどこか楽しんでる風がある。 カッコいいぜ、中原! お前は吉阪研のヒーローだ また会おう それまで死ぬなよ
by odyssey-of-iska2
| 2015-07-31 20:31
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