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2013年 09月 23日
私の漫画生命は「鉄腕アトム」に始まり「あしたのジョー」で終わった。 後に残ったのはまっ白な灰だけだ。 漫画を夢中で読めるということはすばらしいことだと思う。 私にももちろんそういう時期はあった。 漫画のおもしろさに目覚めたのは「鉄腕アトム」だが、それを深化させてくれたのは、ちばてつやの一連の作品だった。 初めて読んだのは「ちかいの魔球」だ。 少年マガジンに連載された漫画で、当時(@小2)、クラスのほとんどは先に発刊された少年サンデー派だったが、へそ曲がりな私だけは後発のマガジン派だった。その理由はこの漫画があったからだ。ただおもしろいだけでなく、惹かれる何かがあった。 それが何だかわかったのは、次に連載された「ハチのす大将」を読んだ時だ。 簡単に言えば、ヒューマニズムと弱いものへの愛情、そしてプライドだ。 それは戦争を扱った「紫電改のタカ」や学園物の「ハリスの旋風」にも通底している。 そして、それを一人の若者の波乱に富んだ人生と重ね合わせながら、さらに深化させたのが「あしたのジョー」だった。 実は「あしたのジョー」の始めの頃はそれほど気合いを入れて読んでいたわけではない。 それが俄然変わったのは、力石とジョーの死闘の前くらい、正確に言えば、力石の過酷な減量辺りからだ。どうなってしまうのだろうと思っていたら、ジョーは敗北し、力石も過酷な減量と試合中の事故が元で死んでしまう。ジョーと同じくらい私もショックを受けた。 それから話はどんどん闇の世界へ落ちて行く。 ジョーは力石戦のトラウマから試合中に相手のテンプルにパンチを打つことができなくなり、敗北を重ね、挙句の果ては地方のどさ回りに身をやつす。 この辺りの、暗く落ちて行く感覚とそこに漂う絶望感、疲労感は凄い! 私は漫画を読んでいて初めて文学を感じた。そして矢吹丈とほとんど一体となっていった。 やがてジョーはカーロス・リベラや金竜飛らライバルの出現によって(その死闘を乗り越えることで)復活し、世界チャンピオンのホセ・メンドーサと戦うことになる。だが、この時既にジョーの身体はパンチドランカーの症状に蝕まれていた。 ホセの圧倒的な力とテクニックの前に何度もダウンするジョー。 だが、力石やカーロスら、かつてのライバルの幻影に励まされながら戦うジョー。 すべてを燃え尽くすかのように無心で戦うジョー・・・ (そして、あのラストシーンだ) この最終回を読んだのは(浪人が決まって間もない頃の)神田の喫茶店だった。その日は呆然として何もする気が起きなかった。それどころか、それからしばらくは呆然とした日が続いた。そして気づいたら、もう他の漫画をジョーの時のように身体が乗り移ったように精魂込めて読むことはできなくなってしまっていた。 私の漫画生命もジョーと共に死んだ。 それから7年くらいが経った。 TVでジョーのアニメをやっていることは知っていた。だが、観たいとは思わなかった。 ジョーは死んだのだ。 だが、ふとした弾みで観てしまった。(後半の「あしたのジョー2」だった) 独特だった。アニメのコマ数はやたら少なく、静止画像が多いのに、漫画とは異なる味のある映像で、時には実験的でさえあった。音楽や台詞の力(あおい輝彦の声がぴったりで、ニヒルで陰影の濃い矢吹丈像をつくっていた)で十分雰囲気のある、大人のアニメになっていた。 劇場版のアニメも見たが、TV版と同様、出崎統(でざき おさむ)が関わっているので、雰囲気がよく似ていた。特に後半になればなるほど彼の絵のタッチや特色が出ていて良かった。 ジョーに夢中だった頃の私がふたたび甦っていった。 「あしたのジョー」はただおもしろいだけでなく、漫画やアニメをつくった人達の思い、(もっとオーバーに言えば、)思想や哲学が色濃く出ている希有な作品だと思う。 私の漫画生命は終わってしまったが、私の中でジョーは今でも生きている。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2013-09-23 01:03
2013年 09月 11日
宮崎駿が長編アニメ制作からの引退を発表した。 私は熱心なジブリファンではないのでそれについて語る資格は無いのだが、少し感じるものがあるので記しておきたい。 ジブリのアニメを観るようになったのは、交通事故で脳をやられたFが記憶の喪失と共に多くのことに興味を示さなくなったので、子供のアニメを見せたらどうだろうと思ったのが切っ掛けだった。 それまでジブリのアニメは観たことがなかった。理由は、みんなが観るから。(私はへそ曲がりなので、みんながやることや流行りの物には興味がない) 他にも、手塚治虫が開拓したアニメならではの手法とは違って、現実を細部まで追いかけ再現しようと するやり方は逆にアニメの力を弱め、だったら実写でやればいいだろうと感じていた。 だが、実際に観たら思いの外良くて、結局10本くらい借りて観た。 最初に観たのは「もののけ姫」('97)だった。 これは力作だが肩に力が入り過ぎてる、というか、多くのものを詰め込み過ぎてて、重いと感じた。 だが、「千と千尋の神隠し」('01)は違った。そうした呪縛から解き放たれ、自由にアニメの世界の中で遊んで良質のファンタジーを紡ぎ出していた。しかも結構グロテスクなものも入っていて、単純に子供のアニメとは言い切れない大人に向けたメッセージも感じられた。 サン・テグジュペリに似ているなと思った。 そういう意味では「となりのトトロ」('88)も同様だ。(ただ、スケール感は「千と千尋」の方がずっと上だ) 「魔女の宅急便」('89)は私のようなユーミン世代にとってはどこか懐かしい。 「天空の城ラピュタ」('86)は冒険活劇でとてもおもしろいが、それ以上のものではない。ただ、「ルパン三世 カリオストロの城」('79)を経ているので、どこかくだけた遊びがある。 「ハウルの動く城」('04)は動く城(ガラクタのロボット?)は秀抜だが、物語自体はそれほど印象に残っていない。 そろそろ飽きたなと思った頃、「風の谷のナウシカ」('84)を観た。 そしてすべては最初にあったのだと強く感じた。 それほど「ナウシカ」は強烈だった。 戦争やエゴによる文明の破壊と荒廃、人間の愚かさ、自然や環境との共生、女性原理の見直し、無私の精神、日々の営みの大切さなど、宮崎駿の言いたいことのほとんどすべてはこの作品に出揃っていた。 ストーリーの展開も見事で、2時間があっという間に過ぎた。 アニメでしかできないポエジーもきちんとあった。(タイトルにもそれは込められている) 私の宮崎アニメの一推しだ。 (ついでに言えば、「紅の豚」('92)も好きだ。大人のためにつくられたアニメで、雰囲気があるので・・・) NHKのドキュメンタリーでこれまで何度かその制作の実態が明かされて来た。 結末がどうなるのかわからないまま七転八倒しながら(体力と集中力を消耗しながら)進むその創作過程はとても誠実で、職人的で、共感を覚える。 真にものつくりのあるべき姿だ。 これからはもう少し身体に負担のかからないやり方で、自由にのびのび創造の世界に遊びながら、別の形で私達に影響を与えて行ってほしい。 引退会見での言葉が好きだ。 「ぼくは自由です」 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2013-09-11 23:44
2013年 05月 31日
三國連太郎が亡くなって一月以上過ぎたが、ポッカリ穴の空いた感覚が抜けない。 以前、「饑餓海峡」について書いた際(→2011.3.26)、マーロン・ブランドやデ・ニーロに匹敵する俳優だと言ったが、実は日本にはこれまでこういう役者はいなくて、これからもこういう異常な役者は現れないだろうと改めて思うからだ。 上手い役者はたくさんいる。 だが、三國連太郎くらい(実人生も含めて)唯一無二な存在の役者はいない。 追悼番組や晩年の彼のドキュメンタリーを観ても、どうもその凄さが伝わって来ない。 やはり若い頃から全盛期の、つまり三國連太郎という役者が確立され、それが十全に発揮された映画をきちんと観て欲しいなと強く思う。 初めて彼の演技を映画で観たのは小学生の時で、「王将」('62)だった。 将棋の阪田三吉の半生を描いた映画で、前半の、草鞋(わらじ)職人で将棋は滅法強いが品性が無く無学文盲であることを表すシーンで、名前を訊かれて、紙に墨で縦に7本線を描き、それをくるっと回して再び3本線を入れ、「三吉です」と答えるシーンは今でも覚えている。 後半の、生涯の宿敵関村八段との和解シーンも覚えている。 関村が名人位に就く際、上京して自分で編んだ草履を差し出し、口上を述べる。 三吉が将棋の死闘を繰り返すうちに身に付けた品格さえ漂う。 丁度その時、苦楽を共にしてきた女房の小春が病で息を引き取る寸前の知らせが入る。 電話口で、周囲をはばからずに、死ぬんじゃない!俺を残して死ぬんじゃない!とオロオロ泣き叫びながら(記憶の中では突然、念仏を唱え始め)人間性丸出しで、強い夫婦愛が伝わって来る。 鬼気迫る演技を縦横無尽に繰り広げて子供心に強い印象を受け、三國連太郎という名前を覚えた。(だが、この作品は年譜から抜け落ちてる場合もある) この時点で既に三國連太郎だったのだから、役者として確立されたのはそれ以前ということになる。 彼が初めて映画に出たのは「善魔」('51)で、28才の時だ。 (三國連太郎という芸名はその時の役名をそのまま付けたもので、すぐ辞めてもっと別の仕事に就こうと思っていたと後年語っている。また、映画界へ入ったのは食うための手段で演技への憧れは全く無かったとも語っている) デビュー時の彼は181cmと大柄な体格とバタ臭いマスクでそれなりに人気はあったろう。 松竹を皮切りに東宝、日活、東映と渡り歩き、三船敏郎、石原裕次郎、中村錦之助とも共演している。 だが、こうしたスターと違って生まれや育ち、学歴に大きなハンディがあり、かつ若い時から貧困、放浪、戦争、脱走など幾多の苦い人生を経験して異なる角度から世の中を視るようになった彼が、スター(星)ではない、地に足がついた役者を目指すようになったのは極めて自然なことだ。 彼に師匠はいない。また、どこの劇団にも属していない。 常に孤として自分の生理で考え、それを生々しく表出した。 だから多くの伝説を生んだ。 「異母兄弟」('57)では夫婦役の田中絹代と老夫婦に見えないため自らの歯を10本抜いたとか、「夜の鼓」('58)では共演の有馬稲子をリハーサルの時から本気で殴りつけて失神させかかったとか、あるテレビドラマでは浮浪者の役に没頭したあまり実際にその格好でカップルを脅し逮捕されそうになったとか、聞けば聞くほど異常で、役者バカとしか言いようがない。 たぶん、こうした異常さ、つまり三國連太郎が三國連太郎になったのは「ビルマの竪琴」('56)辺りからだろう。 その一つの頂点が「饑餓海峡」('65)だ。 そして、もう一つの頂点が「神々の深き欲望」('68)だ。 「神々の深き欲望」は今村昌平の最高傑作であるだけでなく、日本映画の最高傑作の一つだと間違いなく思う。映画ができた45年前当時より薄っぺらな今の時代にこそ重要な作品で、観て感じていろいろ考えて欲しいなと強く思う。それだけ根源的で普遍的な、何度でも観る価値のある映画だ。 物語は南の架空の島「クラゲ島」が舞台で、そこに古代から続く島民達の因習に満ちた生活と新しく押し寄せる近代化の波、人間の根源的な生と性、近親相姦、男と女、老人と若者、都会と島、文明と野生など、多くの対立とうねりが土着的かつ神話性に満ち溢れながら描かれていく。 今村昌平のエネルギッシュな演出と役者達の驚くべき演技、音楽や絵づくりの上手さで、3時間という上映時間を感じさせない、というか濃密な時間を一緒に生きることになる。 その中にあって、三國連太郎の演技は決して突出はしていない(もちろん、印象的だが)。 彼の演技の特徴の一つである「受け」が多く、上手に映画にハマって盛り上げている。 この映画は多くの困難や資金難に見舞われ、2年のロケを要してやっと完成された。 そのため、今村プロだけでなく、俳優達の私生活にまで深く影響を及ぼした。 三國連太郎は妻子と別れ、それが後年、息子、佐藤浩市との確執につながる。 当時のことを彼はこう語っている。 「イマヘイさんていうのは、あの当時、視野が広かったんですねぇ、非常に。 ある種、宇宙観という意味では『神々の深き欲望』を観て、なんか、こう、永遠に残って鑑賞に堪えられる映画だという気がしているんですがねぇ。 まぁ、僕は古典に向かって『役者とは何か』という成り立ちを勉強してみようと思い始めたのは、今村と足掛け2年の仕事の影響だと思っていますけどねぇ」 そしてますます独立プロの作品を選んで出演するようになる。 本当の役者バカとしか言いようがない。 その遺伝子は当然、佐藤浩市にも受け継がれている。 三國連太郎の役者人生50年を記念してつくられた「役者」('99)は大変興味深いドキュメンタリーで見所一杯だが、その白眉は息子、佐藤浩市と共演した「美味しんぼ」('96)での撮影現場だ。 ここで息子は明らかに親父に向かって真っ向から反抗している。 それも役者としての演技論を吹っかけて。 時には監督やスタッフがいることも忘れて親父に食って掛かり、親父をタジタジにさせている。 さすがの三國も周りに助けを求めたりする。 だが、こうして遺伝子と遺伝子はぶつかり合い、さらに強い絆となってその因子は受け継がれて行くのだ。 そしてとうとうそのバトンタッチをする時がやって来た。 このドキュメンタリーの最後は彼のこの言葉で終わる。 芸術なんてそんな大したことじゃないと思うんです、本当は 生きるということ以上に素晴らしい芸術は無いということですね 三國連太郎は(実人生を含め)すべてを生き切った。 凄い芸術家だ。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2013-05-31 20:08
2013年 03月 23日
大島渚が亡くなって二月が過ぎた。 私は決して大島渚の良いファンではなく、彼の映画も5本しか観ていない。 テレビの討論番組の激昂ぶりも何だかヤラセのようで(もしくは確信犯のようで)興味は無かった。 だが、映画監督としては、特に「日本の」映画監督としては、極めて特異で唯一無二の存在だったと思う。なぜなら、彼ほどジャーナリスティックで、政治的で、生涯「反権力」であり続けた監督はいないからだ。 それを最初に感じたのは大学時代に初めて観た「愛のコリーダ」('76)だった。 この映画は公開前からハードコアポルノか否かのセンセーショナルな話題が先行して一種の社会現象となっていた。 ある時、喫茶店で話をしていたらまだ誰も観ていないことが分かり、じゃ、今から観に行こう、ということになって、新宿の映画館に行った。 映画はほとんどズタズタで、ボカシだらけだった。 当然のことながらその後の酒の席での評価は最低だった。 だが、とても不思議な気がした。こうなることは当然わかっていたはずなのに、なぜ大島渚はこれほどまでに本番に拘ったのだろう。しかも、映画の書籍がわいせつ文書に当るとされ、検挙起訴された。わざわざ自分からそうしむけて国と戦っている感じだった。 つまり、これは確信犯としてやった行為で、当時の日本の保守的で閉鎖的な文化や社会状況に対して風穴を開け、中央突破を計ろうとしたのではないかと思った。 映画の内容以上にそのことの方が鮮烈だった。 次に観たのは「戦場のメリークリスマス」('83)だった。 これは「愛のコリーダ」ほど鮮烈ではなく、戦争を扱った映画にしてはおとなしい、ストーリー性の強い映画だった。だが、これも不思議な気がした。 デヴィッド・ボウイや内田裕也、ジョニー大倉、坂本龍一、三上寛などロックやフォークのミュージシャンを多く用い、当時はお笑いタレントに過ぎなかったビートたけしを本格的にシリアスに使った。(結果的にはビートたけしや坂本龍一が映画の世界から注目され、どっぷりつかる切っ掛けとなった) 単なる俳優ではない、別の世界の人間を用いることで、劇的な化学変化と社会全体を映画に取り込もうと企んでいるような、そんな感じがした。 この映画の通奏低音は戦争下におけるホモセクシャルだ。 だから女は一人も出て来ない。 こうした徹底した態度と視点も大島渚らしかった。 そして彼のデビュー作である「青春残酷物語」('60)を観た。 (本当は前年の「愛と希望の街 」('59)が彼の長編映画第一作だが、脚本を書いて監督するまでの時間が無かったのか、戦略に欠け、大島渚らしさがなく、松竹らしさとネオレアリズモを強く感じる)それに引き替え、「青春残酷物語」は な〜んだ、最初の時点ですべてが出揃っているじゃないか! と思えるほど、大島渚らしかった。 まず、始めに渋谷の安保反対デモの実写シーンが流れ、それに俳優の演技がダビングされて当時の社会状況が体感される。京大で学生運動の活動家だった大島らしい出だしだ。 だが、主役の二人の若い男女は東京オリンピック前の高度成長経済に向かう欲望の時代を反映して好き勝手放題な無軌道な青春を突っ走って行く。 木場の貯木場を疾走するモーターボートや、海に落ちた女を足であしらうシーンなど、それまでの日本映画にはなかった新しさと性的な感覚で、ゴダールが「本当の意味でのヌーヴェルヴァーグの最初の作品は『青春残酷物語』だ」と言うのがわかるような展開だ。 そして初期の大島に顕著な、観念的で少し説明口調の早口の会話が繰り広げられていく。 結果的に二人は自業自得の死を迎えるが、それに対し善悪の判断を下しはしない。 極めてドライで鮮烈な感覚だけが後に残る。 それは「白昼の通り魔」('66)でも変わらない。 センセーショナルな話題を投げかけながら、ジャーナリスティックで、ぐいぐい他人の心の中に入って行く。 激しい会話のやり取りの中で、観ている者までもがシリアスに傷つけられていく。 こういう映画が嫌いな人は続けて観るのは難しいだろう。 私もさすがに疲れて、それ以降、大島渚は観なくなってしまった。 だが、それを覆す事件があった。 2000年に「愛のコリーダ」の完全ノーカット版が上映された。(修整は大幅に減ったが、これもオリジナルではないらしい) 私は観なかったが、観た友達からよかったと聞かされた。 そしてある時、そのビデオを観る機会があった。 驚いた。 それは大学時代に観た物とは別物で、日本の古典に通ずるような、近松の心中物や荷風の「墨東綺譚」のような深い味わいがあった。 エロスと死という使い古された言葉以上に、大島渚が体当たりで男女の究極の愛に肉迫し描こうとしたことがひしひしと感じられた。 確かにこの作品にも大島らしさは遺憾なく発揮されている。だが明らかに成熟している。 病魔に倒れなければ、もっと元気であれば、私達はその発展系をさらに観れたかもしれない。 残念でならない。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2013-03-23 13:20
2013年 01月 26日
私はAVは観ない。 もちろん観たことはある。 だが、あれは映画ではない。 ただの刺激物で、パチンコやスロットマシーンと同じだ。 2時間たっぷりエロスで酔わせてくれた上に、何かを感じさせてくれる、考えさせてくれるというのであればもちろん観る。 だが、そうでないのなら時間の無駄だ。 本来、性と恋愛と子供を産む行為は本能的に結びついている。そしてその総体が人生だ。 だが、AVはそれらを切り離し、一片だけを取り出してただの消費物にしている。 映画とは似て非なるものだ。 初めて18禁の映画を観たのは、大学受験に失敗し、盲腸騒ぎから復活してお茶の水にある予備校に通い始めた頃だった。 私は毎日授業に出てノートを採り、勉学に励んだ・・・と言いたい所だが、その反対で、ほとんど授業をサボり、お茶の水の古本屋街で午前中見つけた本をその外れの喫茶店で午後読み耽るのを日課としていた。 ある時、同じ喫茶店でほとんど同じようなことをしている奴がいることに気づいた。意気投合して仲良しになった頃、そいつが「ポルノを観に行こう」と言い出した。 本当はドギマギしたが、平静を装い、「ああ、観に行こう」と言った。 どういうわけか渋谷に行った。そして題名もろくに見ずに映画館に入った。 昼間なのにおじさんたちの人いきれでムンムンしていて、気持ちが悪くなった。 終わったらすぐに出よう、そう思って観始めた。 ところが途中からどんどん引き込まれて行き、観終わった時には不思議な澱のようなものが心に残った。 それが神代辰巳の「恋人たちは濡れた」だった。 この映画は出だしからして不思議だ。 ある町に男がやって来る。皆は「お前、克だろ?」と訊くが、男は「違う!俺はそんな奴は知らねえ!」と答える。そして喧嘩になる。 やがて男は草むらでヤッテル同年代のカップルと出会い、女を紹介される。 ポルノ映画館で働く男はそこの女主人ともネンゴロになるが、飽き足らず、とうとう町を出ようとする。 ラストシーンはもっと不思議だ。 カップルの彼女と仲良くなった男は港で彼女と自転車に乗りながら言う。 「実は俺、人を殺したんだ」 すると突然ヤクザのような男が横陰から飛び出して来て、男をドスで刺す。 そうとは知らない女と、刺されて(たぶん死んだ)男を乗せた自転車はゆっくりそのまま海の中へ消えて行く・・・ 単なる通過儀礼として入ったはずの映画館で受けたこの不条理な感覚は、だがその後、私の中に確実に残っていく。 大学院に入って間もない頃、研究室で雑談をしていてどういうわけかポルノ談義になった。 私は、初めて観たポルノがとても不思議だったという話をした。 すると自称ポルノ評論家のMさんが、 「みぞぶち、それは違う。ロマンポルノはポルノではない。芸術だ」と言った。 そして長々と日活ロマンポルノの歴史と変遷を話してくれた。 先日、昔の友達と飲んでた時にふとロマンポルノの話が出た。 帰りがけにTSUTAYAに寄ると、このDVDが何と一般邦画のドラマの棚に並んでいた。 隔世の感がした。 借りて来て久しぶりに観た。 確かに今の時代からすると全然たいしたことはない。 でも、私を惹き付けたあの不条理な感覚は今観ても新鮮だ。 そして今だからこそわかるいろんな発見がある。 この映画はいろんな名画のワンシーンを思い出させてくれる。 男が喧嘩で殴られ路上で悶える姿は「灰とダイヤモンド」のラストのようだし、砂浜でヤッテル二人を見ながらカップルが語り合うシーンは「男と女」のようだ。 ポルノ映画館の女主人が男を追いかけたあげく力尽きて倒れるシーンは「勝手にしやがれ」に似ているし、その女主人が首つり自殺を図って失笑を買うあたりは「気狂いピエロ」のラストに似ている。 カップルと男がバスに乗ったら乗客は老人ばかりというオチは「卒業」だし、3人の気ままな振る舞いとそのお話という設定は「冒険者たち」だ。 ラストの二人を乗せた自転車が海に入水するシーンは「太陽がいっぱい」の死体が海から上がって来る逆バージョンだし、全体のロードムービー的で不条理な感覚はアントニオーニ的だ。 だが、ただパクってパロディを作ったというのではない。 それらを束ねてさらに先へ進もうとする捨て身の勇気に私は共感を覚える。 たぶん、神代辰巳は干されて心をカラカラにし、映画に飢えていたのだと思う。 彼のデビュー作「かぶりつき人生」('68 田中小実昌の小説を映画化した物で、ポルノではない)は興行的に大失敗し、監督のオファーは以後パタリと無くなる。 当時、斜陽化の途中にあった日本の映画産業は更にその速度を増し、日活も監督やスタッフを人員整理して短期間に低予算でポルノを大量生産する路線に転換する。 そして再び神代辰巳に出番がやって来る。 確かに短期間に低予算で作られただけあって荒いし、稚拙な部分はたくさんある。 だが、逆に瞬発力と集中力、そして野心と飢えが充満している。 この映画には彼のこうした屈折した心情と映画への深い愛が感じられる。 そして彼を支えたスタッフ、俳優、裏方さん達の映画づくりへの並々ならぬ情熱が感じられる。 こういう人達の努力と格闘があったからこそ、日本映画は滅びることなく、今日の再びの隆盛を見ることができた。そしてここから崔洋一、周防正行、相米慎二、滝田洋二郎、根岸吉太郎らは育って行った。 この映画は、学生運動が頓挫し閉塞感に覆われた時代の状況を色濃く反映しながらも、そこから突き抜けようとした、青春映画の傑作だと思う。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2013-01-26 21:15
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