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2009年 12月 12日
![]() 大学で、授業(私は建築学科の4年生を非常勤で長らく教えている)が終わった後、有志で午後6時から別の授業(=遊び)をしている。 最初は私の好きな「Jazz」を、その次も私の好きな「映画」を、3回目からは学生にバトンタッチして、「ファッション」や「料理」、「グラフィックデザイン」など、その人の一番興味のあることを語ってもらい、それを肴にお酒を飲みながら、さらに興味の輪を広げる遊びをやっている。 「映画」の時は自分の好きなDVDを互いに持ち寄り、それを観ながらどこがいいか勝手気ままに語り合っている。 Yさんが「月曜日のユカ」('64)の加賀まりこがいかにカワイイかを力説した時には、それまで知らなかった彼女の一面を知り、とても新鮮だった。ペドロ・アルモドバルも彼女から聞いて観るようになった。 私の場合は、一番影響を受けたニューシネマを中心に話をして来たが、今度はとびっきりミーハーな話をしようかと思っている。つまり、大好きだったスティーブ・マックイーンの話をしようと思っている。 私が本気で映画を観るようになる以前から好きだった俳優は、女ならジョアンナ・シムカス(「冒険者たち」)、男はスティーブ・マックイーンだった。マックイーンの場合は「憧れていた」という方が正しい。 最初にマックイーンと出会ったのは「大脱走」('63)だった。(友達とフラッと入った名画座で観た。) 小柄だが鍛えられた肉体と精悍なマスクで、オートバイを乗り回す姿がカッコ良く、一辺で気に入った。が、それほど特別だったわけではない。 それが特別になったのは「ブリット」('68)だった。(これも名画座で観た。) ほとんどセリフが無いくらいに寡黙な主人公と、切り詰められ無駄の無いストーリーが凄く、緊迫感でドキドキしながら観た。(先日、久しぶりにDVDを借りて観たが、少しも古く感じなかった。むしろCGやオーバーアクションばかりの昨今の刑事物と比べると、リアルで凄みさえ感じた) 有名なカーチェイスや夜の空港での追跡シーンもいいが、私が一番惹かれるのは、それとは対極の、寡黙な男の優しさだ。 そして「栄光のル・マン」('71)でそれは最高に達し、マックイーンは忘れられない特別な存在となった。 この映画が名作かどうかは正直言ってわからない。むしろ、ほとんどの人はNOと言うだろう。 ストーリーらしいストーリーはほとんど無いし、濃密な人間ドラマも無い。 ル・マンの猛烈な爆音の迫力ある映像とは裏腹に、全体の印象はむしろ淡々としている。 結末も(余韻はあるが、)もっと観ていたい気がする。 でも、だからいい、マックイーンに惚れた人間にとっては・・・ この映画はハッキリ言って、スティーブ・マックイーンを観るための映画である。 ここでのマックイーンはいつにも増して孤独が深く、顔がしわくちゃだ。 すべての財産とエネルギーを賭けて創ろうとした愛するモータースポーツの映画は、愛する妻に猛然と反対される。(後にこれが原因で離婚する。)監督とも意見が対立し、最終的には解雇し、ほとんどキャリアの無い若い監督に託すことになる。 すべてがうまく行かない中、時間だけが過ぎて行き、苦悩と疲労が顔に深く刻まれて行く。だから彼の顔はいつにも増してしわくちゃなのだ。 ああ、だけど何と味のある深い男の顔なのだろう! 高校生だった私はマックイーンに憧れ、いつしかこういう顔になりたいと真剣に思うようになった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そして今、労せずともしわくちゃな顔になった。 しかし、あの孤独と寡黙な優しさをたたえた、味のある深い顔とは無縁である。 マックイーンは未だに私の憧れである。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2009-12-12 23:26
2009年 09月 10日
![]() ロバート・デ・ニーロに最初に出会ったのは「タクシードライバー」('76)だった。 孤独で気弱な主人公が不眠症で精神を狂わせ、危険な妄想を抱いた末に強烈なバイオレンスの行動に走る。結果は意に反して少女を売春宿から救ったことで英雄視されるが、彼は再び元の孤独なタクシードライバーに戻って行く…という大都会の孤独と狂気が鮮やかに示された秀作だった。(テーマ曲でのトム・スコットのけだるいサックスは最高だった) 気弱な主人公の話し方と強烈なバイオレンスとの落差はとてもショックだった。 次に観たのは「ディア・ハンター」('78)だった。 アメリカのベトナム戦争物の一つだが、戦争そのものを描くというより、その当時の若者の友情とその悲劇の結末に焦点が合わされた映画だった。特に最後の、友人一同が集まりパーティーを開くシーンで、そこにいない亡き友に向かってマイケル(デ・ニーロ)が心から言う短い乾杯の言葉 "To Nick"(ニックへ)のシーンは忘れられない。 ここでのデ・ニーロは、人間的なスケールの大きさと優しさが圧倒的で、とても魅力的だった。 そしてトドメは「レイジング・ブル」('80)だった。 まず、オープニングの、マスカーニの美しい曲をバックにデ・ニーロがスローモーションでリングの上を躍動するモノクロシーンがすばらしい。こんなに冒頭から心をわし掴みにされる映画は滅多にない。 ところが話の内容は美しいどころか卑猥なくらいで、裏ぶれた劇場の楽屋でかつて世界ミドル級チャンピオンだった男(デ・ニーロ)がその栄光と転落の歴史を速射砲のように語り、映像がそれを猥雑にたどる。 ジェイク・ラモッタの自伝を映画化したものだが、圧巻なのは、ボクサー時代の鍛え上げられたデ・ニーロの肉体と転落後の肥満した肉体(27kg増量したらしい)の落差だ。だが、それ以上に凄いのは、嫉妬心や執着心で妻や弟、友人を無くしボロボロに転落して行く哀れな男の業を演じるデ・ニーロの役者魂だ。 ここに至って私はデ・ニーロに狂ってしまい、以後デ・ニーロの映画は観まくった。 特にマーティン・スコセッシと組んだ作品は好きでいくつも観た。 そして彼らが最初に組んだ「ミーン・ストリート」('73)に行き着いた。 この映画は、(デ・ニーロにとってもスコセッシにとっても駆け出し時代の作品なので)荒いと言えば荒いのだが、すでに魅力は満開している。特にデ・ニーロは凄い。危険でアブナイ匂いがプンプンしている。 話の内容は、彼らが何度も描いている自分達のルーツであるニューヨークのイタリア人街が舞台で、そこにたむろす二人のチンピラの友情と葛藤の物語だ。 主人公のチャーリー(ハーベイ・カイテル)はそろそろチンピラ稼業に区切りをつけて堅気になろうと考えているが、片割れのジョニー・ボーイ(デ・ニーロ)は全然無頓着で、あればあるだけ金を使い、無軌道で、女にもだらしない。挙げ句の果ては借金取りと一悶着し、とうとう追われる身となる。 その最後のシーンが凄い。 殺し屋に追われて車でブルックリン・ブリッジを疾走し、最後は消火栓に激突して車の中から血まみれで呆然としながら這い出て来るシーンのバックに、エリック・クラプトンのクリーム時代のライブの名演「Steppin' Out」が激流のように13分40秒ただただ流れるだけなのだ。 最初に超速弾きの神業的名演があったからこのシーンが生まれたのか、その逆かは知らないが、いずれにせよスコセッシはこの演奏が好きなのだと知り、とても親近感が湧いた。 なぜなら、私がクラプトンの名演の中で一番好きな演奏だからである。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2009-09-10 20:37
2009年 06月 07日
![]() ロバート・アルトマンの作品で最初に観たのは「M★A★S★H」('70)だった。 朝鮮戦争時に韓国に駐留したアメリカ軍の移動野戦外科病院が舞台で、3人の軍医(エリオット・グールドが特に凄い!)が任務などそっちのけでハチャメチャをおこなう、当時のベトナム戦争に対する批判が色濃く反映されたブラック・コメディだ。 ヘリコプターでケガ人が運ばれてくる冒頭シーンとそのバックに流れる美しい挿入歌の落差に始まり、全編至る所に監督の才気が感じられる映画だった。 だが、それだけだったら、ロバート・アルトマンはただの上手な監督に過ぎない。 次に観た彼の映画はそれまで観たすべての映画と違っていた。 簡単に言えば、ストーリーが有るようで無いような、主人公がいるようでいないような、現実の様でそうでないような、そんな混沌とした不思議なつくりの映画だった。 それが「ナッシュビル」('75)だった。 おおまかなストーリーは有ることには有る。 或る大統領候補のキャンペーンのためにカントリー歌手や芸能人その他多くの人々がナッシュビルに集まり、それらのエネルギーが渦のように合わさって最後のコンサート会場場面で最高潮に達するが、そこで発砲事件が起こり、一瞬にしてすべてが壊れ去るという話だ。 だが、そのストーリーが重要なのではなく、むしろ破片のような些細な部分のエピソードがギクシャクしながら自然に合わさって巨大な渦を作って行く過程の方が凄かった。 さらに、ドキュメンタリーのように本人が同名の芸能人として登場し、現実と嘘が入り交じって、虚実皮膜の混沌はさらに深まって行く。 (ジュリー・クリスティーに対し、「あれがアカデミー賞をもらった俳優かよ?大した事ねえなー」というセリフには、さすがに当時のジュリー・クリスティー・ファンとしてはカチンと来たが・・・) ラストの、群衆が逃げまどう大階段の中を、空しさで一杯になりながら放心状態で去って行く選挙参謀の姿も秀抜だった。大統領の逮捕やベトナム戦争の敗北など、当時のアメリカが置かれていた絶望的な状況と空気が見事に捉えられていた。 こういう、登場人物がたくさん出て来て、主人公が複数の映画のつくり方を「グランド・ホテル形式」と呼ぶ人がいるが、アルトマンの映画はそれとはまったく違っている。 「グランド・ホテル」('32)は確かにグレタ・ガルボを始め多くの有名な俳優が出て来て、複数のエピソードでできているが、一つ一つは小さくきれいにまとまっていて、それほど複雑なつくりではない。 「ナッシュビル」は一つ一つは破片のようでまとまりがなく、偶然のアドリブの連続ように見えるのだが、それらが集まりダイナミックに合わさって行く様は、Jazzのライブを観ているようだ。 この映画によってアルトマンは初めて自分のスタイルを確立した。 そしてそれを初めて観てショックを受けた大学生の私は、映画館を出てしばらくの間、あの大階段を去って行った選挙参謀のように放心状態のまま高田馬場の街を歩いた・・・ かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2009-06-07 21:34
2009年 03月 23日
![]() 高2の時に映画に目覚めて以来、映画を観るのは日常生活の一部となった。 今の時代はどこにいてもDVDやヴィデオを簡単に借りられ、好きな時に自由に映画を観ることができるが、昔はそうではなかった。とりわけ私より前の世代は大変だったと思う。 だが、幸運なことに、私たちの世代は大学入学直前に「ぴあ」や「シティーロード」が創刊され、そのおかげで今、東京のどこで何の映画をやっているのか、その映画館の行き方や上映時間、料金、俳優、監督のことなど、必要最小限の情報を簡単に得ることができた。そして私は週一のペースで映画館で映画を観るようになった。大体は二番館の2本立て(時には3本立て)だったので、毎月8〜10本くらいは観ていた勘定になる。 映画に目覚めさせてくれたのがニューシネマだったのと、その当時流行っていたのがニューシネマだったので、当然ながら一番多く観たのはニューシネマということになる。 実際、ニューシネマは他のハリウッドやヨーロッパの映画と比べて私の性に合っていた。 その理由はいくつかあるが、一つは、明らかにヒーロー物ではなく、挫折や混沌とした悩み、世の中との矛盾、無気力、無軌道性が描かれているのだが、それが当時、大学生だった私の置かれていた境遇や心情とどこかで合致し、共感を覚えることができたという点にある。 ハッピーエンドではなく、たとえ希望の無い終わり方であっても、それまでの映画とは違って真実を語っているように思えた。 また、その映像感覚や色彩、殺伐とした荒涼感もそれまで無かった物で、深い傷を負うように心に滲み込んで行った・・・ その最たる物が「ファイブ・イージー・ピーセス」('75)だった。 この映画の主人公であるジャック・ニコルソンは、それ以前に「イージー・ライダー」 ('69)で初めて出会い、強烈な印象を受けた。 途中からアル中の弁護士役で出て来て、いきなり「イヤ〜!ニッ、ニッ、ニッ、ツ、ツ、ツ、ギァ〜!インディアン!」と訳のわからないフレーズを叫んで観客の度肝を抜いたり、夜中に焚き火を囲んでマリファナを吸いながら(本当にラリってたという説もある)「・・・怖がってるのは君が象徴しているものさ。(略)君に”自由”を見るのさ。”自由”のどこが悪い?そう、何も悪くないさ。自由を説く事と自由である事は別だ。カネで動く者は自由になれない。アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。個人の自由についてはいくらでも喋るが、自由な奴を見るのは怖い。・・・」と、ろれつの回らない声で血走った目で論じるあたりは凄みがあった。(台詞もアドリブだという説がある) 「イージー・ライダー」はニューシネマの代名詞のようによく言われるが、私にはどこか垂れ流しのロードムービーみたいな感じがして、単調で荒く、もしこのアル中の弁護士がいなかったら、それほど印象に残る映画ではなかったろう。 それに比べ、「ファイブ・イージー・ピーセス」は格段に深みが増した。 ニコルソンの役も、先の明快な反体制的人物像ではなく、優柔不断で、利己的で、無為かつ自堕落で、エリートの出であることを嫌悪しながらどっち付かずのまま、あらゆるものから逃避しようとする主人公なのだ。 物語は悩める青年の自分探しの旅の様相を示すが、その果てに混沌とした悩みから解放されるわけではなく、最後は唖然とするような不条理な形で次への旅が暗示され終わる。 この不毛な浮遊感は初めての経験だった。 しばらくは呆然として席を立てなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 時は経ち、ボブ・ラフェルソンとニコルソンは再び邂逅し、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」('81)をつくることになる。 それは最初のシーンから匂いと陰りのある大人の映画だった。 その後の二人の遍歴と成熟を感じた。 ニューシネマとは違うが、とても好きな、男と女の愛の映画である。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2009-03-23 17:24
2009年 02月 14日
![]() この映画を最初に観たのは中学生の頃で、たぶん日比谷の「みゆき座」だったと思う。 サイモンとガーファンクルの映画の主題歌がヒットし、冒頭にその曲が流れるとどこからともなく小さな歌声が聞こえ、それが次第に複数になっていったのを覚えている。映画の細部はよくは覚えていないが、見終わった後に痛快だったことだけは記憶している。 つまり、その当時はそれほど深く映画を観ていたわけではなく、主人公と一喜一憂しながら、感情のまま映画を「なぞって」観ていた。 それが、高校2年の時にリバイバルされたのを再度観て、いろんな発見をし、それ以来それまでとは違った見方で映画を観るようになった。 最初に気づいたのは、主人公のベンと彼を誘惑するミセス・ロビンソンの密会シーンで、裸のミセス・ロビンソンがドアから入ってくる瞬間と驚いてベンが振り返る瞬間が、交互に何度も、まるでフィルムミスのように映し出されるシーンだ。 次に気づいたのは、ベンとヒロインのエレンがアパートで言い争い、怒った管理人から「出て行け」と言われたベンが慌てて階段を駆け下りるシーンで、その様のすべてが上から下まで、カメラで舐めるように捉えられている。 ベンがエレンを教会まで車で追いかけ、途中から自分で走り出すシーンでは、正面からロングで撮っているので、歩道と車道の段差が変わる度にベンの頭が上下に動き、その様が長々と映し出される。 そして教会の、有名なベンが「エレーン!」と叫ぶシーンでは、次にロビンソン夫妻と婚約者の苦々しく歯軋りする表情が無音の中で劇画のように流れ、その静寂を突き破ってエレンの「ベーン!」という叫びが続く。 つまり、一見無駄と思えるようなシーンとフィルムが至る所にちりばめられ、(音楽も含めて)全体が再構成されているので、単なるストーリーを追っただけの映画とは異なる、斬新さと知的ユーモアをたたえたクールな映画になっているのだ。 このような映画の作り方を「アメリカン・ニューシネマ」というのだ、ということはその時初めて知った。以来、ニューシネマは腐るほど観た(が、その一つ一つを話し始めたら切りがないので、ここではしない)。しかし、その後の私に一番影響を与えた映画はニューシネマだということだけは言える。 この時以来、不思議な癖が付いてしまった。映画をダブルで観ているような、つまり一人の自分はストーリーに沿って一喜一憂涙しながら感動し観ているのだが、もう一人の自分は映画の作り方を冷静かつ冷酷非情なまでに観てしまうのだ。 (実はこのことは、現在私が生業としている建築の場合でも同様で、同じようなことをいつも知らぬ間にやっている。) たぶん、ものつくりと言われる人間は皆同じようなことをしているのだが、それを最初に気づかせ、自覚させてくれたのが、この「卒業」という映画だった。 マイク・ニコルズには深く感謝している。 かずま ![]() #
by odyssey-of-iska2
| 2009-02-14 23:25
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