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2019年 01月 28日
年末、横浜のハーバーガイズで押川聖子さんのライブを聴いて、癒された。 その時、彼女が「スマイル」を唄った。 で、正月はチャップリンの「モダン・タイムス」を借りて観た。 チャップリンの映画を観るのは久しぶりだが、改めて傑作だなと思った。 この映画をいつ頃観たかは定かではない。大学時代にどこかの名画座で観たのか、それとも近美のフィルムセンターだったか、はたまたTVの名作劇場か・・・ 当時も傑作だとは思っていたが、今回はもっとグッと来た。 物語は、チャーリー(チャップリンの分身と言うか、チャップリンそのもの)が大きな工場でコミカルに懸命に働くシーンから始まる。自動給食マシーンの実験台にされた挙句、働き過ぎのノイローゼで病院送りになるが、治り、今度は共産主義者と間違われ、留置所送りになる。だが、脱獄囚を撃退したことから模範囚として放免され、紹介された造船所で働く。が、ドジで首になる。とまあ、不運続きで、自分から再び刑務所に戻りたいと、無銭飲食するが、護送車の中で浮浪少女と出会い、車が横転した隙に二人で逃げ出す。意気投合した二人は、働いて家を建てようと懸命に頑張るが、どれもこれも上手く行かず、少女は悲嘆にくれる。だが、チャーリーが慰め励まし、二人は手に手を取って、未来に向かって再び歩き出すシーンで終わる。 このラストシーンに流れる曲が「スマイル」だ。 実は、映画公開当時は曲だけで、歌詞は無かった。後に(多分、チャーリーが少女に向かって「笑って」とモーションすることから)「スマイル」という題名と歌詞がつけられ、ナット・キング・コールの唄でヒットし、スタンダードとなった。 この映画はチャーリーの唄う「ティティナ」(傑作‼︎)や、バックに音楽は流れるが、全体は白黒のサイレント映画で作られている。 当時、既にトーキー(最初の長編映画は「ジャズ・シンガー」(‘27) 私は未見)はあったし、チャップリンのこの映画から3年後に公開されるテクニカラーの「風と共に去りぬ」(‘39)などと比べると、古臭い感じは否めない。 では、なぜ、チャップリンは白黒のサイレント映画に固執したのだろう。 チャップリンは1889年ロンドンで生まれ、1歳の時に両親は離婚し、どん底の生活を子供時代味わう。5歳から舞台に立ち、様々な劇団を転々としながら演技を身につけ、やがてアメリカに渡って、1914年からサイレント映画に出始める。(山高帽にちょび髭、ダブダブのズボンにステッキ、という出で立ちは、ほぼ当初からだという) 初期の映画は未見だが、「キッド」(‘21)では既に、チャップリンらしい、笑いと涙の合わさった、落語の人情噺のような味わいがよく出ている。 笑いだけで言えば、「黄金狂時代」(‘25)の時点で既にピークに達している。(ヘタなお笑い番組を見る暇があったら、この映画を100回観る方がはるかに面白い) 「街の灯」(‘31)では「キッド」をさらに深めて落語のオチのような感覚まで味わうことができる。(この頃からトーキーを意識してバックに音楽を流している) そして「モダン・タイムス」(‘36)では、人情噺に加えて、当時の社会や未来が抱えている非人間的な側面を笑いで風刺しながら、弱い者の立場に立ちながら、希望を見出そうとしている。 この社会批判は、次の「独裁者」(‘40)では戦争批判にまで発展し、時代に敏感に反応しながら、市井の人々の懸命な生き方を描こうとするチャップリンの姿勢が良く出ている。 要は、チャップリンは、技術の進歩や表面的な(新奇な)テクニック以上に、これまで培ってきた芸の上に、内面的な深みや芸術性、社会性を求めたのだ。 そのため、時間と労力、お金をかけて完璧になるまで何度でも撮り直した。だから、フィルムは白黒でなければ持たないし、音入れも完璧を期してサイレントにしたのだろう。 この選択は正しかったと思う。正月に「モダン・タイムス」前後の映画も観て、改めてチャップリンの進化と偉大さを感じた。 いつも順風満帆な人生、勝利しかない人生は、逆につまらないと思う。 「スマイル」が心に沁みる、なんていうのは 挫折したことのある人にしかわからない(味わえない)ご褒美だからだ。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2019-01-28 18:14
2018年 10月 23日
サム・ペキンパーは過激な暴力描写とスローモーションを多用した映像で有名だが、それだけではなく、いつも人の矜持を描いて、好きな監督の一人だ。 彼は生涯14本の作品を残したが、私はそのうち5本を次の順序で観た。 「わらの犬」 (1971) 「ジュニア・ボナー」(1972) 「ゲッタウェイ」 (1972) 「ワイルドバンチ」 (1969) 「ガルシアの首」 (1974) 「わらの犬」はダスティン・ホフマンが主演で、次の2つもスティーブ・マックイーンが主演だから観た。つまり、二人のファンだから観始めたのだが、「ワイルドバンチ」と「ガルシアの首」を観てからは、圧倒的にサム・ペキンパーのファンになった。 (断っておくが、私は過激な暴力描写や無駄に血を流す映画は嫌いで、そういう意味では戦争物やアクション物には全然惹かれない。だからペキンパーの作品でも「戦争のはらわた」は観ていない) 私が惹かれるのは最初に言ったように、ペキンパーの映画に流れる男の矜持と哀感だ。ペキンパーはそれを際立たせるために暴力描写とスローモーションを使った。そう思う。子供や女がよく登場し、その心理描写が極めて繊細なのも、ただの過激な暴力愛好家でないことがわかる。 西部劇には興味が無く、ほとんど観ない。その理由は、多くが白人から見たヒーロー物で、白黒のはっきりした単純な構図の映画だからだ。 だから「ワイルドバンチ」も期待しないで観た。だが、全然違っていた。 年老いたパイク(ウィリアム・ホールデン)率いる強盗団は騎兵隊を装い、銀行強盗に成功するが、彼らを追いかける賞金稼ぎの待ち伏せに出会い、わずか5人になる。 (この逃走劇で、橋を爆破して、追っ手が馬もろとも川に落ちるスローモーションは、初めて観た時には呆気にとらわれると同時に、美しいなぁと思った) 5人は国境を越え、革命軍と政府軍の内乱が続くメキシコに逃げるが、政府軍を率いる将軍との間にいざこざがあり、最終的には1人が捕らわれリンチにあう。 仲間を見殺しにできない4人は将軍の元に出かけ助けようとするが、最後は壮絶な銃撃戦となり、政府軍を皆殺しにする代わりに彼らも全員死んでしまう。 (このラストの「デスバレー(死のバレー)」と呼ばれる有名な銃撃戦は迫力満点で凄い! と同時に、初めて観た時はスローモーションシーンは美しいなぁと思った。 もちろん、純粋に映像的な話だが・・・) この映画は黒澤の「七人の侍」の影響を受けている。 だが、決定的に違うのは、主人公たちが皆死んでしまうことだ。 非情だが、よりリアルで、虚しさや哀感の余韻がより深く残る。それまで観た西部劇とは違って、西部劇の形を借りた現代の映画のように感じた。 「サム・ペキンパー 情熱と美学」(‘05)は彼の生涯と作品を扱ったドキュメンタリーだが、ペキンパーファンなら知ってることばかりで新たな発見は無い。 だが、「ワイルドバンチ」にも出演しているアーネスト・ボーグナインやジェームズ・コバーン、クリス・クリストファーソンらがペキンパーについて語るシーンは興味深い。誰もがペキンパーを愛していて、プロデューサーや制作会社に盾突き、従おうとしない彼を面白おかしく語りながら、心の底で擁護し、援護している。 お金目当てではない、現場の人間達の、映画にかける情熱や熱気があった、幸福な時代の香りが漂っている。 最後は酒やコカインに溺れて死んでしまうが、男っぽい映画ばかりつくってきた反面、実は非常に繊細な神経の持ち主だったのだろう。 でもペキンパーは幸運だ。 今でも「ワイルドバンチ」やその他の傑作を私たちは観ることができる。 映画は永遠だ。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2018-10-23 21:41
2017年 05月 30日
映画を意識して観るようになったのは、高2の時に「卒業」('67)のリバイバルを観てからだ。 その後、監督のマイク・ニコルズの作品は片っぱしから観た。(私は好きになった映画の監督作品はそうする癖がある) 主演のダスティン・ホフマンはオーディションでは上手く行かなかったそうだが、それを見た監督が「彼にはSomethingがある」と言って起用したのは有名な話だ。つまり、現在ダスティン・ホフマンがあるのは、マイク・ニコルズに見る目があったからだが、おかげで私たちも、その後の彼の驚異的な演技の数々を多くの映画で観ることができる。 この映画のラッツォもその一つで、その前の「卒業」のベン・ブラドックとは全然違っていたので、初めて観た時には驚いた。 と言っても、ラッツォが出てくるのは、映画が始まってしばらくしてからだ。 それまでは、もう一人の主役ジョー(ジョン・ヴォイト)が、テキサスの田舎町からニューヨークで一旗揚げようと、マッチョなカウボーイ姿で颯爽と現れ、(バックに流れるニルソンの「うわさの男」が快調だ)金儲けのため金持ち風の女と寝るが、逆に女から金を巻き上げられ、散々なスタートを切るエピソードが続く。 そこに薄汚い格好をした(仲間からネズ公と呼ばれ、嫌われている)ラッツォ(ダスティン・ホフマン)が現れ、彼の口車に乗せられて10ドル払いある男と会うが、これが偏執狂の恐いホモで、這々の体で逃げ帰るという、さらに酷いエピソードが続く。 このラッツォの出で立ちと動作が凄い。 チビでびっこで黒づくめの脂ぎった長髪で、神経質でどもりながら早口でスラングを話し、咳をし、汗をかいて、真に都会に棲むドブネズミそのものなのだ。 前作の「卒業」で悩めるハイソな若者を演じた同じ俳優とは思えない落差で、始めは面食らったが、そのうち(凄い役者根性だな!)と、その演技にのめり込んで行った。 ジョーはカンカンになって怒り、ラッツォを探し出すが、既に金は使われている。宿無しのため、ラッツォが住処としている廃屋のビルの一室にジョーも住む羽目になる。都会の底辺で吹き溜まりのような生活を続けながら、やがて二人は心を通わせる。 その後もラッツォの咳や病いは悪化し、とうとうエンドの状態にまでなる。 最後に二人はラッツォの夢だったフロリダ行きを決め、長距離バスに乗る。 このラストシーンが何とも言えない。 朝、ジョーが目覚めるとラッツォが「小便を漏らして、身体がビショビショだ」と泣く。かわいそうに思ったジョーはフロリダ近くの休憩所で二人分の明るい衣服を買い、自分も着替えて、カウボーイの衣服とブーツをゴミ箱に捨てる。 バスに戻ると、アロハシャツにラッツォを着替えさせ、額の汗を拭く。 「サンキュー、ジョー」と答えるラッツォ。 ジョーはタバコを一服しながら、マイアミに着いたらまともな職について働くよ、どう思う?と話す。だが、返事はない。ラッツォは既に息絶えていたのだ。 茫然とするジョーとキリストのように眠るラッツォをバックに、マイアミの抜けるような青空とヤシの木、白い建物がイリュージョンのように窓ガラスに映り、それにトゥーツ・シールマンスのハーモニカがかぶさりながら映画はゆっくり終わる。 ニューシネマの中でも忘れられないラストシーンの一つだ。 観終わって二人の主役のどちらが記憶に残るかというと、断然、ラッツォ(ダスティン・ホフマン)だ。「レインマン」('88)でもトム・クルーズを食っている。 「マラソンマン」('76)でローレンス・オリヴィエ、「パピヨン」('73)でスティーブ・マックイーンと互角の演技だった。 「レニー・ブルース」('74)、「クレイマー、クレイマー」('79)、「トッツィー」('82)・・・と印象に残る演技を挙げていったらきりが無い。 本当に名優だなと思う。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2017-05-30 20:14
2017年 04月 30日
自分の精神構造はどうやってつくられたのかに興味がある。 もちろん、それは一筋縄ではなく、生まれた時代や場所、育った家庭、周りの環境、出会った人々、読んだ本、DNAなど、いろんなものが複雑に絡み合いながら奇跡的に結合し生成されたに違いない。 その要素の一つに、私の場合、映画やジャズは大きく影響している。 映画を強く意識するようになったのは高2(17才)の頃からだ。 そしてその頃、観た時はそれほどではなかったが、その後折あるごとにフラッシュバックのように脳裏をよぎり、拡大しながら自動生成され、定着していった映画がある。「バニシング・ポイント」だ。 ストーリーは単純だ。 ある中年の男がデンバーからサンフランシスコまで15時間で車を陸送する賭けをする。そして時速200kmでぶっ飛ばし、白バイの追跡やバリケードを突破していく。そのニュースを聞き、逃亡車を熱狂的に応戦する盲目のディスクジョッキーと市民たち。次第にエスカレートしていく警察の追跡とそれから必死に逃げる白い車。 その果てに、巨大なパワーシャベルが道を塞いで待ち構えていた・・・ これはアメリカン・ニューシネマ真っ只中の1971年の映画だ。 バニシング・ポイント(消失点)という題名からして、結末は既に暗示されている。 内容も、15時間というタイムリミットの設定上、現在地と時刻が字幕で表示され、わかりやすく、(過去の回想シーンがその合間にフラッシュバックのように挿入されるが、どこか凡庸で)ある意味、単調だ。 だから、見た当時は秀れた映画だと思わなかった。(今でも思わない) だが、とてもシンプルな骨格をしている分、ラストシーンは強く心に残った。 そして私の中でエイリアンのように巣をつくり、肥大して、一つの感覚に至った。 それは簡単に言えば、明るい敗北、白い虚無、のような感覚だ。 なぜ明るいかというと、ラストシーンでコワルスキー(主人公の中年男)がアクセルを全開に踏む前に、ニヤリと微笑むからだ。敗北を受け入れ、その真っ只中に飛び込んでいくことを自分から欲している。 そして、無に向かって消えていく姿に白い美意識を感じる。 この姿勢、この感覚は他の映画では味わえない。 監督のサラファインや主演のバリー・ニューマンの他の映画は、一つも観ていないし、知らない。 だが、この映画は永遠に残るだろう。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2017-04-30 15:23
2017年 03月 31日
![]() JALの機内で聴ける音楽は貧弱だといつも思う。特にジャズは最悪で、何の工夫もないどころか、ポップスの一部かバックに流れるイージーリスニング程度にしか扱われないことも多い。 先日の奄美の行き帰りも聴くべきものがまるでなく、しょうがないのでビートルズの初期のライブをやってたので聴いたら、これが思いの外良かった。結局、行きも帰りもずっとこれを聴いた。 この「Live at the Hollywood Bowl」('64&'65)は、昔「スーパー・ライブ」という名のLPで発売されたが、今回聴いたのは全然別物と思える程音が良く、かつ生々しくて、ロックンロール・バンドとしてスタートした当時のビートルズの勢いを彷彿させてくれる。 このライブは当時を扱ったドキュメンタリー映画の公開に合わせて再発されたもので、当のDVDがTSUTAYにあったので借りて観た。 結果はただのスカッとした映画ではなく、60年代と、ある種の屈折した人生を感じさせる、深くて苦いドキュメンタリー映画だった。 出だしは「She loves you」をすこぶる快調に歌いまくる4人の姿から始まる。(特にジョンが男らしくてカッコいい!) 周りの熱狂も凄くて、改めてビートルズが出て来た当時の異常な興奮を思い出した。(と言っても、当時の小学生の私にはその意味はわからなかった) これだけだと、ビートルズはポッと出のワッと受けたバンドのように思えるが、「ここに来るまで大変だった」というポールの述懐がそれにかぶさる。 実際、彼らはデビュー前の60年、61年とハンブルグに巡業し、ライブ会場の酒場で毎日6〜8時間、しかも数ヶ月間演奏するという過酷な雌伏の時を過ごす。この試練が、荒削りだが度胸と迫力のある彼らの初期の演奏の土台となり、62年10月に「Love Me Do」でデビューを果たす。そして翌63年から快進撃が始まり、「Please Please Me」(1月)、「From Me To You」(4月)、「She loves you」(8月)、「I Want To Hold Your Hand」(11月)と、出すシングル、出すシングルがすべてヒットチャート1位を記録する。 (当時の勢いはこのドキュメンタリーの中で十分感じ取れる) ビートルズの異常なのは、短期間にヒットシングルを連発しながら、かつライブやコンサートをずっとこなし続けたことだ。(この映画のタイトルの元となった「Eight Days A Week」('64 12月)という曲は、休日もなく働き詰めの毎日を「週に8日も仕事だなんて」とリンゴ・スターがボヤいたのが元で生まれた) ライブやコンサートで24時間拘束される不自由な生活を続けるうちに彼らの神経はすり減り、有名になったことで周囲との軋轢も深まり、やがてそれは頂点に達する。 「まるで見世物さ。曲なんて聴いちゃいないし。うんざりし始めていた」 「”シー・ラブズ・ユー”をずっとは歌えない」 「次の新しい場所を求めていた。進化の時だし、変わりたいと思ってた」 ポールとリンゴの述懐は苦い。そして66年のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークでのコンサートを最後に彼らはレコーディング・アーティストへ移行する。 映画の最後はこのコンサートの模様で、確かにそれは異常で、音楽ではなく見世物だった。退場も鉄の護送車に乗ってで、どこか寒々としたシーンだ。 その後、彼らは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(''67)、「ホワイト・アルバム」('68)、「イエロー・サブマリン」('69)、「アビイ・ロード」('69)と、ビートルズにしか作れない遊びと実験と音楽性の融合したアルバムを残し、「レット・イット・ビー」('70)で解散する。 「レット・イット・ビー」が出た時(高一だった)、誰かが「ビートルズは解散するかもしれない」と言った。嘘だろ?と思ったが、本当だった。 「The Long And Winding Road」を聴くと、今でもその頃のことを思い出す。 ビートルズは確かにチャック・ベリーやリトル・リチャードらの影響を受けてロックンロールから始まったが、やがてそこから脱皮し、もしくは進化させて、新しい音楽を次から次に作っていった。その原点と変化の切っ掛けを辿れるドキュメンタリーで、彼らの心情と生きた時代の両方が捉えられている。 曲を聴くだけでなく、観たらもっといろいろなことを感じられるに違いない。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2017-03-31 17:16
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