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2016年 03月 31日
![]() 私は飛行機の中では滅多なことでは映画は観ない。 だが、先日のマニラの往復はどちらも座席が通路側で、外の景色を楽しむことができず、Jazzは聴き飽き、本も読み飽きで、他にすることがなかったので観た。 「007 スペクター」('15)を観た。これが予想に反しておもしろかった。 観ながら、ダニエル・クレイグになってジェームズ・ボンドは生き返ったな、でも、やっぱり「カジノ・ロワイヤル」('06)の方が上だな、と思いながら・・・ 007の映画は今から54年前「ドクター・ノオ」('62)で始まった。 それ以来「スペクター」まで24作品つくられたが、これだけ長く続いた理由は、初代ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーの(ちょっとキザでアクは強いが)カッコいい粋な演技に世界中の人がハマったからだ。その後4人の俳優がボンド役を演じたが、ショーン・コネリーが偉大過ぎたためか、誰も彼を越えることができなかった。 そこでダニエル・クレイグの新シリーズでは映画のアクションや演技はそのままに、007の私生活や幼少の頃も描き、よりドラマ性を強調するようになった。 この大転換は見事に当たった。その最たるものが「カジノ・ロワイヤル」だ。 と言っても、前半はいつもの、快調だが少し食傷気味の派手なアクションが続く。 それが変わるのは、ヴェスパー(エヴァ・グリーン)が登場する辺りからだ。スリルとサスペンスとアクションをまといながらも、いつしかそれは男と女の愛の物語へ変わって行く。 特に、ヴェスパーが殺人に関わることでショックを受け、震えながらシャワーブースで佇む姿を見て、ボンドがそっと寄り添い、一緒に濡れながら指に付いた血を舐めて肩を抱き寄せる辺りは、これまでの007シリーズでは無かった描写だ。 私は観ていてスティーブ・マックィーンの「ブリット」を思い出した。 (そう言えば、ダニエル・クレイグは少しだけマックィーンに似ている) こうした愛の深まりがあるからこそ、最後のヴェスパーとの別れのシーン(ここでは逆にヴェスパーがボンドの手に口づけをする)でツーンと来るのだ。 私はまさか007を観てはかない思いで一杯になるとは思ってもいなかったので、とてもびっくりした。そして感動した。 映画自体はご都合主義の展開は多いし、脚本の練れてない部分も目に付く。 例えば、始めの、若き日のボンドが00に昇格するシーンは他との絡みがなく浮いている。 また、最後の終わり方も、次回作への布石とはいえ、中途半端だ。 派手なアクションは多いが、敵の刺客が個性的な大物ではないので、あまり印象に残らない。 CGもそれなりに効果的だが、多用すると逆につまらないものに見えてくる。 などなど、言いたいことは山ほどある。にもましてこの映画がやっぱり好きだと思うのは、この映画くらい人間臭くて共感できるジェームズ・ボンド映画は他に無いからだ。 私の007一押しだ。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2016-03-31 20:24
2016年 02月 27日
![]() 私はコメディは好きではない。だが、この映画はとても好きだ。 この映画はコメディという枠を越えて(オーバーに言えば)人間愛に溢れた映画だ。そして、人生は小さなことの積み重ねでできていて、それを大切にすることでやがて幸せはやって来る、という真実を教えてくれる。 初めて観たのはまだ人生の酸いも甘いもわからない学生の頃で、観終わった後、ただただ2人の主演俳優の(まるで舞台を観ているかのような)速射砲のような台詞の凄さと、その台詞を作り出した脚本家の知性とウィット、そしてそれらを流れるように観せてくれる監督の職人芸の凄さに驚き、参った。 その後時を経て何回かDVDを借りて観たが、観飽きるどころか観る度に発見があり、味わいは増してくる。 この映画にはディテールがある 例えば、二人が初めて出会う雨の日のシーン。これは最後の二人の別れ(グッバイではなく、必ず戻ってくるよ、という強い絆)の雨の日のシーンと重なる。 二人が言い合う中でポーラ(マーシャ・メイソン)がエリオット(リチャード・ドレイファス)のセリフで彼が俳優だと初めて気づくシーン。 「あなたも俳優ね、あきれたわ‥‥“欲望という名の電車”のセリフよ」 ところが、別のシーンでポーラも“欲望‥‥”の別のセリフを言う。 こういう映画や舞台の名セリフやそれにまつわる俳優の名は至る所に出てくる。 (余談だが、エリオットにサディスティックな舞台の演技指導をする演出家の「Trust me!」(私を信じてくれ!)を今回DVDで聴いて、思わず笑ってしまった。まさか某総理大臣がこの映画を観てパクったとは思わないが・・・) この映画は舞台俳優や演出家の楽屋落ちかそれに似たシーンが多くあり、少しわかりにくいがおもしろい。と同時に、どこか悲哀に溢れている。 その最たるものが、ポーラが全財産の入った財布をひったくりに会い、犯人を追いかけながら転び、路上に散らばったスパゲッティを泣きながら拾い集めるシーンだ。(私は何回観てもこのシーンで涙が出てくる) そしてコメディは落語の人情噺と同じで、笑うだけでなく、逆の要素も入って初めて深い感動と共感を生むのだということに気づかされる。 やがてわかり合い、心を通わせ合う二人。 そしてとびっきり素敵な、夜の屋上での二人だけのパーティー。 だが、突然の雷雨でそれは打ち切られ、部屋へ退散する。そしてピザを頬ばりながらポーラの別れた(グッバイされた)男達との話がひとしきり続いた後、二人は結ばれる。 その後も順調に続く二人。だが、エリオットにシアトルでの映画出演の話が舞い込み、事態は突然変わる。 再びグッバイされるのかと落胆するポーラ。この時のセリフがおかしい。 「いい映画でスターになって。できたらアカデミー賞も取ってね」 (その後、リチャード・ドレイファスはこの映画でアカデミー主演男優賞を本当に取った) それに対するエリオットの別れの言葉。 「飛行機が落ちても帰ってくるぞ! 心から誓う。 死ぬまで僕らは一緒だ」 そして、あのラストシーンだ。 とてもカッコイイとは思えない体躯のリチャード・ドレイファスがとてもカッコ良く見えてしまう。 だから人生は不思議だ。 二人の名優と(それに負けないくらい活躍する)一人の名子役に乾杯! (脚本の)ニール・サイモンと(監督の)ハーバート・ロスに感謝! そして心に残る主題歌をつくったデヴィッド・ゲイツと、バックに流れる繊細な音楽で映画の雰囲気をコントロールし続けたデイヴ・グルーシンに拍手! かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2016-02-27 23:05
2016年 01月 31日
![]() 年越しは東京でした。 年末にMが肺炎をおこし入院したので、病院と自宅との間を往復してたら年が明けてしまった。少しも正月気分がしないので「幕末太陽傳」を借りて観た。 この映画は前から観たかった映画だ。その理由は「居残り佐平次」「品川心中」「三枚起請」「お見立て」など多くの落語を元に脚本が書かれ、落語好きのKさんからおもしろいと言われていたからだ。しかもデジタル修復されて画面が綺麗で観やすい。 私は正月の御節番組は嫌いなので、結局これを3回観た。3回ともおもしろかった。 まず、配役がとても豪華だ。デビュー仕立てでいきなりスターとなった石原裕次郎を始め、小林旭、二谷英明らが幕末の志士役で、ライバルの二人の花魁は左幸子と南田洋子、脇は小沢昭一、殿山泰司、金子信雄、山岡久乃、菅井きんらが固め、主人公の佐平次役はフランキー堺という、今から考えるとこれ以上はない豪華キャストだ。 特にフランキー堺の佐平次はいい。軽妙洒脱で、粋で、テンポがよく、おかげで話がどんどん進んでいく。同様に金造役の小沢昭一も秀抜で、「品川心中」の話とその後日談は多いに笑えた。 その中にあって高杉晋作役の裕次郎だけは浮いている。だが、それも軽いジョークと思えば許せるし、彼がいなければ「幕末太陽傳」などという派手なタイトルにならなかったろう。 いや、もしかしたら、裕次郎を用いたことやその浮いた演技も監督の川島雄三の計算であり作戦だったのかもしれない。 この映画はどこかモダンだ。簡単に言えば、日本風の湿りが少なく乾いてて、遊んでいる。例えば、冒頭の幕末の品川宿のシーンの直後に現代の品川のシーン(と言っても1950年代の赤線廃止直前の映像だが、)が映り、再び幕末の品川宿に戻る。 聞けば、ラストの「お見立て」の墓場シーンも、佐平治が「地獄も極楽もあるもんけぇ!俺はまだまだ生きるんでぇ!」と言って墓場から海辺の道をひた走り消えるのではなく、監督の構想ではそのまま墓場のセットを通り抜け、ドアを開けて外に飛び出し、現代まで走り抜け、それを現代人になった登場人物達が見つめるというものだったらしい。(結局、あまりに斬新過ぎたため、自分以外のスタッフや俳優達の反対にあい、断念した) こうした破天荒な遊び心はどうして生まれたのだろう。
川島雄三は1918年に青森県で生まれ、明治大学卒業後、松竹大船撮影所の助監督になり、44年の「還って来た男」(原作は織田作之助)で監督デビューする。そして「幕末太陽傳」('57)を撮ってから6年後の「イチかバチか」(原作は城山三郎)公開直前に急死する。 彼の生前の写真を見ると皆痩せている。松竹に入った頃からALS(筋萎縮性側索硬化症)だったらしい。 こうした未来に不安を抱きながら生きる人間にとって、捨てばちな心と、それとは逆の「今がすべて」と感じその一瞬一瞬に自分の人生を賭けて生きようとする心の、相反する2つが共存していたのではないだろうか。 (彼の他の映画を観ていないので正確なことは言えないが、)そうしたアンビバレンツな心が川島雄三のどこか乾いた破天荒なモダンな感覚を生み出しているように思えてならない。 創造の世界で一番大切なのは、捨てばちなくらいの勇気と刹那の中に生きる覚悟だ。 この映画にはそれを感じる。 かずま ![]() #
by odyssey-of-iska2
| 2016-01-31 11:39
2015年 12月 10日
![]() だから彼の映画をすべて知っているわけではなく、それをきちんと語ることはできない。しかし、そのうちの1作はとても好きで5回くらい観た。だからその映画について語ることはできる。 つまり、「ベニスに死す」について語ることはできる。 初めてヴィスコンティの映画を観たのは大学に入って間もない頃で、ある名画座でやっていたヴィスコンティ作品の連続上映だった。そこでドイツ三部作と呼ばれる「地獄に堕ちた勇者ども」('69)「ベニスに死す」('71)「ルートヴィヒ」('72)を観た。 このうち「ベニスに死す」は飛び抜けて好きな作品だった。それは今まで味わったことのない白い美意識でできていた。 映画は薄もやの中を蒸気船に乗って主人公のアッシェンバッハ(作曲家で指揮者のグスタフ・マーラーがモデル)がヴェニス(ヴェネツィア)に療養にやってくる所から始まる。(当時はアドリア海を船で渡ってヴェネツィアにアプローチできたのだ。それは何と素敵なことだろう!) 乗ったゴンドラは彼の意とは逆にサンマルコ広場ではなく直接ホテルのあるリド島に向かう。旅情を削がれ、怒りに心が震えるアッシェンバッハ。だが、ホテルで美少年のタジオに出会うと、彼の心は変わり、タジオに強く惹かれて行く。(この辺りのヨーロッパの貴族文化に流れているホモセクシャルな少年愛嗜好やロリータ・コンプレックスは私には無いので、少し引いてしまうが、タジオ役のビョルン・アンドレセンは確かにギリシャ彫刻のように美しいので、単純に美への憧れとして捉えれば納得はできる) 映画はこのアッシェンバッハのタジオへの憧れを縦糸に、彼の友人であるアルフレッド(作曲家のシェーンベルクがモデル)との芸術論争を横糸に、美への憧れと格闘の綴れ織を丁寧に織り進めて行く。(途中で出てくるタジオの母親役のシルヴァーナ・マンガーノの白い衣装やヴェネツィアの白い街並みがとても効果的で美しい) 最後に主人公は疫病のコレラにかかり、海辺で逆光に輝くタジオの姿を見ながら、(それを手に入れようと空中に手を差し伸べながら、)死んでいく。 この映画は美を愛しながら滅びて行く、もしくは永遠の美を求めて昇華して行く、極めて耽美的な映画で、貴族の出身で幼い頃からそうした環境にどっぷり浸ってきたヴィスコンティだから撮れた映画だ。 彼一流の細部へのこだわりも徹底していて、厚みと奥行き、重さがあり、ヴェネツィアを舞台に撮られた映画の中で一番ヴェネツィアを感じる。 カーニバルの夜のシーンや黒い燕尾服など黒は度々出てきて、重厚な香りを放っている。 なのに、何回観ても、最後に残るのは白い美意識だ。 これは滅びの美学と共にヴィスコンティが本能的に持っている究極の美意識で、それは後半になればなるほど加速して行く。 全編を覆うマーラーの交響曲第五番「アダージェット」もそれをさらに盛り上げる。 たぶん、これ程白い美意識を感じさせる映画はこれからも出て来ないだろう。 トーマス・マンの原作はまだ読んでいない いつか読みたい できたら死の淵で 西に沈む夕日を見ながら かずま
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by odyssey-of-iska2
| 2015-12-10 17:01
2015年 11月 05日
![]() マニラのクライアントのMさんは映画が大好きだ。 東京で晩飯を一緒に食べて夜12時頃別れる時に突然、「これから六本木のヴァージンシネマズに映画を観に行こう」と誘われたことがある。私は翌朝9時から打ち合せがあるので丁重にお断りしたが、Mさんはそのままタクシーに乗って六本木に消えてしまった。 同じようなことはマニラでも何度か経験した。その時は当然一緒に観に行く。 先日マニラに行った時も、みんなでライブスポットでポップスを聴きながら遅い晩飯を食べていたら、突然、映画を観に行こうと言われ、Mさんの家族と共にシャングリラ・プラザで「The Martian」('15)を観た。 マット・デイモン主演の、火星に行って探査中に大砂塵に見舞われ死んだと思われた宇宙飛行士が懸命な努力の末に奇跡的に地球に生還するという話で、監督はリドリー・スコットだからおもしろくないはずはないのだが、丁度その時私は睡眠不足で、おまけに台詞が英語なので、懸命に頑張ろうとするのだが、ほとんど寝てるのか起きてるのかわからないような状態だった。途中でそれに気づいたMさんが、これはこういう話だと何度もやさしく英語で解説してくれたが、「I see」を繰り返すだけで、半分くらいしか理解できないまま映画は終わってしまった。 そして帰りの車の中でなぜだか「2001年宇宙の旅」('68)を初めて観た時のことを思い出していた。 この映画も実に"眠い"映画だ。 初めて観たのは完成から10年後の78年で、学校の課題を出すため前日徹夜したか、もしくは夜遅くまで飲んでたかで、寝不足のまま観に行ったらもろに寝てしまった。始めの類人猿が骨を放り上げ、それが宇宙船に変わるシーンまでは何とか我慢できたが、ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」が始まるともうダメで、気がついたら最後の白い部屋に黒いモノリスがそそり立つシーンだった。何がなんだかわからないまま映画は終わってしまい、しかも全席入れ替えでそのまま外へ出され、謎のまま時が過ぎた。 全容がわかるのはそれから23年後の2001年の上映で、(その時は前日きちんと寝て観に行ったので)初めてこの映画の凄さを味わった。 この映画はいろんな意味で独創的だ。 先に"眠い"と言ったが、このゆったりしたテンポは独特だ、というか、異常だ。他の映画では感じることのできない代物で、宇宙の無重力空間から来ている、というよりキューブリックが恣意的に企んだとしか思えないスローテンポだ。 おまけに台詞が少なく、説明も最小限で、しかも最後の方は映像詩のようなヴィジュアルが(今度はアップテンポで)ラッシュフィルムのように続き、白い部屋のシーンで一息ついた後リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」をバックに地球と胎児(のような)生物がアップされ終わるのだから、何なのこれ?と誰しもが思うのは当然だ。 最初の類人猿やモノリスのシーンも含め、キューブリックには観客に内容や意味を論理的にわからせようという意図はこれっぽっちもなく、俺の哲学や感じたものをただ感覚的にわかれ!と言ってるかのようだ。 そしてそれは半ば成功している。 この映画は三部で構成され、それはきちんと字幕でも示される。 The Dawn of Men(人類の夜明け) Jupiter Mission (木星探査の任務) Jupiter and Beyond the Infinite(木星、そして無限の宇宙の彼方へ) 最初と最後に比べ、真ん中の宇宙での出来事や事件は具体的で、この部分は観れば誰でもわかる。そして、その宇宙船内外のヴィジュアルやディテールの凄さに誰もがくぎ付けになる。 (この映画は1968年に公開された。人類が初めて月に降り立つ1年前だ! 想像が遥かに現実を超えている。しかもイカしてる!) わかる部分を真ん中に、わかりにくい部分を前後にサンドイッチすることで、この映画は難解で、それでいながら魅力的で、何度でも反芻して観たくなる不思議な魔力を手に入れた。(私はその後も2回DVDを借りて観た) この映画を観て、哲学的にどうだとか、わかる、わからないをグダグダ述べることにさしたる意味はないように思う。それより、時空を超えたスケールの大きさとヴィジュアルの凄さを、子供のようにワクワクドキドキしながら観た方がよい。この映画自体が解読不明のモノリスで、2時間20分のSpace Odyssey(空間体験の旅)なのだから。 こうした好奇心のビッグバンから「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」「エイリアン」「ターミネーター」「猿の惑星」「コヤニスカッツィ」は生まれた。(もちろん「The Martian」もその一つだ) キューブリックの独創性と天才を示した、母なる母胎のように偉大な映画だ。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2015-11-05 23:31
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