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2014年 10月 30日
![]() 人間の精神構造を育てる要素にはいろんなものがある。 私の場合、映画から受けた影響は大きい。 それが無ければその後の人生や私のつくる建築はだいぶツマラナイものになっただろう。 だから子供の頃や思春期、青年期に出会った映画はとても大切だ、と今改めて思う。 「太陽がいっぱい」のレコードは物心が付いた時から家にあった。 たぶん、長崎にいた頃、母親が観て気に入り、買ったのだと思う。(当時からMとFは休日に映画館で洋画を観るのが好きだった) だから、ニーノ・ロータの主題歌は映画を観る前からよく聴いて知っていた。 私がこの映画を初めて観たのは東京に転校してから後のことで、TVでだった。 (当時は白黒TVだったので、後年それを名画座で観直すまで私はこの映画がカラーだということを知らなかった。で、観てどちらがよかったかと言うと、モノトーンの白黒の方だった。その方がこの映画のイメージには合っていた。少なくとも私にとっては) この映画について語られることは最近少ないが、少なからず私には影響を与えた。 始めから終わりまでドキドキしながら観た。それは犯罪映画で、主人公のアラン・ドロンと共に山あり谷ありのスリルを味わいながら進むのだが、最後にあっというどんでん返しがあり、完全犯罪はもろくも壊れてしまう。 多分私はこの映画によって映画の醍醐味を教えられた。 また、大人のエロスを初めて感じた。それは魅惑的な肢体のマリー・ラフォレからほとんど発せられているのだが、そのラフォレの手にキスするアラン・ドロンの目にもドキッとした。(私はホモではないが、この時のドロンの演技に初めてセクシーというものを感じた) ラストの、犯罪がばれたとは知らないドロンを海辺で捕まえるシーンにも、それを直接映さないフランス映画のやり方に粋を感じた。 だから、余計、その直前の満足感に浸るドロンの「ああ、太陽がいっぱいだ」という言葉が哀切に響く。 (余談だが、同じルネ・クレマンの晩年の映画「狼は天使の匂い」(’72)にも同様のものを感じる。ラストの敵に囲まれた銃撃戦の中で、突然二人の男はビー玉を賭けて遠くの目標めがけて銃の当てっこゲームを始める。当然死ぬのはわかっているのだが、そんなことにはお構いなく、男達は嬉々として遊びに興じる。映画はその姿を映して終わる。だから余計、余韻が残る。 こうしたフランス映画の遊び心は大好きだ) この映画を観終わって感じたのは、青春の虚しさ、生きることへの哀しみだ。 けして事の善悪とか、道徳的なものではない。 映画は人生のある部分と深く関わっていることを知り、少しずつのめり込んで行った。 (後年、同じパトリシア・ハイスミスの原作からつくられた「リプリー」(’99)を観たが、少しもそういうものを感じなかった) ルネ・クレマンは「禁じられた遊び」(’51)で一躍世界に知られるようになり、その後も多くの名作をつくった秀れた職人的監督だが、ヌーヴェルヴァーグの作家達から遅れた商業映画監督の烙印を押され、ずいぶん損をした。 スピルバーグやジョージ・ルーカスを評価するくらいだったら、断然ルネ・クレマンだな、とハリウッドが嫌いなへそ曲がりな私はそう思う。 #
by odyssey-of-iska2
| 2014-10-30 17:35
2014年 09月 30日
![]() ![]() ![]() この映画を最初に観たのはたぶん小学生の頃で、NHKの名作劇場か何かだったと思う。 よくわからなかったが、スリリングでカッコ良かったことだけはよく憶えている。 今から思えば、最初に聴いたJazzはこの「死刑台のエレベーター」だった。 大学に入ってアメリカン・ニューシネマを片っ端から観ていた頃、それがフランスのヌーヴェルヴァーグから影響受けていることを知り、ヌーヴェルヴァーグの映画も観るようになった。 だが、ルイ・マルの作品はゴダールやトリュフォーなど他の作家達とはまるで違っていた。 一言で言えば、最初から完成度の高い完璧な映画だった。 それを一番簡単にわからせてくれるのがこの「死刑台のエレベーター」だ。 この映画を完成させた時、ルイ・マルはまだ25才だった。早熟の天才としか言いようがない。 ストーリーは意外と単純で、ある不倫関係にある男が女の亭主を自殺に見せかけ殺す。(ここまではよくある話だが、)現場に残した証拠隠滅に戻ろうとして男はエレベーターに閉じ込められてしまう。それと同時に、路上に停めていた彼の車は別の若い男女に奪われ、彼らが別の殺人を犯すことで完全犯罪は壊れ、水の泡と帰す。 始まりの、電話で女と男が呟くように会話するアップからして秀抜だ。観ている我々も共犯者に巻き込まれてしまう。 そして突然エレベーターに閉じ込められ、不条理な世界に投げ込まれるシーン。観ていて息苦しさと同時にどうしたら脱出できるかドキドキして来る。 そうとは知らないフロランス(ジャンヌ・モロー)はジュリアン(モーリス・ロネ)を探して夜の街を彷徨する。このシーンのジャンヌ・モローの空虚感漂う美しさは絶品だ。都会の孤独感さえ感じられる。この時、ジャンヌ・モローは29才だがその存在感は絶大で、すでに大女優の風格さえ漂っている。 フロランスは車を奪ったのが花屋の若い娘とその恋人のチンピラであることを突き止め、証拠隠滅のためカメラの現像所に向かうチンピラの後を追いかける。そこで先回りしていた刑事(リノ・バンチェラがいい味を出している)に意外な証拠を見せられ、共犯者であることが割れてしまう。そして再び彼女の呟くような述懐で映画は終わる。 最初から最後までクールなタッチの映像がテンポ良く続き、しかも雰囲気があり、飽きさせない。だが、もし全編を流れるマイルスの不安げなトランペットの音が無ければ、その魅力は半減していただろう。 マイルスはルイ・マルから完成前のラッシュフィルムを見せられ、即興で吹いたと言われるが、(車を奪った若い男女がパリの街を疾走するシーンは多分そうだろう)多くの部分はスタジオできちんと録音され、後にアルバムとなっている。 この前後からフランス映画にジャズはよく使われるようになり、「シネジャズ」という言葉が生まれる。ロジェ・ヴァディムの「大運河」(’57 音楽はMJQ)や「危険な関係」(’59 作曲はデューク・ジョーダン、演奏はジャズ・メッセンジャーズ)、エドゥアール・モリナロの「殺られる」(’59 音楽はジャズ・メッセンジャーズ)などだ。 ルイ・マルもジャズ好きで、この映画の他にも「好奇心」(’71)でチャーリー・パーカー、「ルシアンの青春」(’74)でジャンゴ・ラインハルトの演奏を使っている。特に後者のギターは効果的で印象深い。 ルイ・マルは裕福な家庭で育ったせいか、たとえ実験的な作品をつくってもどこか品が良く、映画として破綻していない。そういう点は他のヌーヴェルヴァーグの作家達、特にカイエ・デュ・シネマ派とは違う。 また、晩年になればなるほど繊細で豊かな、人生の機微を感じさせる映画をつくった。 その中では自伝的な要素の濃い「さよなら子供たち」(’87)が好きだ。 (あらゆるジャンルに言えることだが、)デビュー作で凄い作品をつくったが為にそれを越えられず終わってしまう作家は多い。 だが、ルイ・マルはそれを易々と越えていった。 やはり天才だな思う。 かずま #
by odyssey-of-iska2
| 2014-09-30 23:18
2014年 08月 23日
![]() 映画のメイキング・フィルムを観るのが好きだ。 タルコフスキーの「ノスタルジア」('83)や「サクリファイス」('86)のメイキングは作品と同じかそれ以上の価値を持っていると思う。創造の秘密が明らかにされるので。 同様に監督や出演者がその製作過程を語るのを読んだり聞くのも好きだ。 私は本来、映画は映画館で観るべきもので、ビデオやDVDで済ますのは邪道だと思っているが、唯一最近のDVDには特典として監督や出演者がその当時を振り返りながら語るバージョン付きのがあって、それを見つけた時は借りて観ることにしている。 「明日に向かって撃て」('69) を監督のジョージ・ロイ・ヒルの解説付きで観た時はとてもおもしろかった。また、ジョージ・ロイ・ヒルが俳優一人一人を尊敬していて、とても謙虚で真摯な監督だとわかった。 「テルマ&ルイーズ」('91) を監督のリドリー・スコットの解説付きと主演二人+脚本家の解説付きの2バージョンで観た時はそれぞれの立場の微妙な違いが会話に出ていて興味深かった。テルマ役のスーザン・サランドンの寡黙な語り口も役と重なり、おもしろかった。 ロバート・アルトマンの「ナッシュビル」('75) は長い間DVD化されなかった。それがとても不思議でしかたがなかった。 以前(2009.6.7) 書いたように、この映画はそれまで観たすべての映画と違っていた。そしてそれに魅了された私はまた観たいと強く思った。 名画座系では何度かかかっていたが、それを知るのはいつも終わった後で、残念な思いを繰り返した。 ある時、TSUTAYAに寄ったら隅っこにこのDVDがあってびっくりした。しかもアルトマンの解説付きで、さらにびっくりした。さっそく借りてきて観た。 アルトマンの解説は製作からだいぶ経ってなされたのだろう、その後の自身の作品や俳優達との付き合いの話も間に入って、なかなかパースペクティブでおもしろかった。 また、場面の解説もあっけらかんとしているというか、たまたまこうしたらこうなったのでおもしろいからそのままにした風な、現場を楽しんでいるというか、ハプニングを楽しんでいるというか、ライブ感たっぷりのジャズの生演奏を聴いてるようで、とてもおもしろかった。ユーモアと少々のことには動じない肝っ玉の太さと懐の深さを感じた。 で、38年ぶりに観た映画の印象はどうだったかというと、 初めて観た時と同様、とてもおもしろかった。 やはりこの映画はアルトマン映画の最高傑作だと思う。 「ザ・プレイヤー」('92)や「ショート・カッツ」('93)など、カンヌやヴェネツィアで賞をもらった映画スタイルの原型であると共に、とても創造的で生き生きしている。 「M★A★S★H」('70)と同様、時代背景や批評精神もきちんと入っている。それでいてナッシュビルが舞台なのでカントリーの歌が多く流れ、けして重過ぎず退屈しない。 24人のメイン・キャラクターのモザイクのように組み合わさった話を1回で理解するのはさすがに難しかったようで、今回見直すことでやっと人間関係が完全に理解できた。 だが、最大の驚きは、「ラストの、群衆が逃げまどう大階段の中を、空しさで一杯になりながら放心状態で去って行く選挙参謀の姿も秀抜だった」(2009.6.7) と書いた大階段が実際の映画には無かったことだ‼ 確かに選挙参謀は放心状態で会場を去って行く。だが、それは会場であるナッシュビルのパルテノン神殿の回廊であって、大階段では無い。 群衆も一旦はざわめくが、逃げまどうのではなく、コンサートに飽きて去る感じだ。 それをカメラはロングショットで正面から追い、空へゆっくりパンして終わる。 私はあの時、選挙参謀と同じく、最高潮に達したエネルギーが発砲事件で一瞬にして壊れ去ってしまう姿に呆然となり、映画を観終わった後も放心状態のままだった。 たぶん、その思いが年月の間に変質し、「戦艦ポチョムキン」のあの大階段シーンが記憶に混入してリセットされたのだろう。 かように記憶というものは曖昧でデタラメなものだ。 と、いろいろおもしろい発見のある再見だった。 いい映画は何度観てもおもしろい。 また観よう。 かずま ![]() #
by odyssey-of-iska2
| 2014-08-23 21:17
2014年 07月 23日
![]() 以前、ヴィクトル・エリセの「ミツバチのささやき」について書いたが(2010.8.31)、最近ロルカの詩や本を読み返しているうちにDuende(ドゥエンデ)という言葉に出くわし、あの時は読みが浅かったなと思い返したので、それを補っておきたい。 「ドゥエンデ」とは本来は、民家に住み家中を荒らしたり大音響をとどろかせたりすると言われている想像上の精霊、化け物、悪霊をさすらしいが、さらに妖しい魅力、魔力、霊感という意味もある。 フラメンコでどんどん盛り上がって行き、ある種のトランス状態になった瞬間も「ドゥエンデ」と言うが、これはつまりドゥエンデが乗り移ったからだ。 ロルカはそれを芸術全般にまで拡張し、こう言っている。 「‥‥あらゆる芸術にドゥエンデは宿ることが可能ですが、もっとも広く宿るのは、当然のことですが、音楽であり、舞踊であり、朗誦される詩です、なぜならこれらは演奏したり演じたりする生きた肉体を必要とするからであり、未来永劫にわたって生と死を繰り返す形式であり、今という正確な瞬間のうえにその輪郭を浮かび上がらせるからなのです‥‥」(「ドゥエンデのからくりと理論」) ロルカ(1898〜1936)はスペイン内戦で最初に犠牲となった芸術家で、エリセ(1940〜)は時代はダブっていないが、何らかの影響をロルカから受けているように思う。 この映画も、次の「エル・スール」('83)も、スペイン内戦は通奏低音に流れている。 また、この映画の原題「El espíritu de la colmena」(蜂の巣の精霊)は、「蜂たちが従っているかのように見える、強力で不可思議かつ奇妙な力、そして人間には決して理解できない力」を表現したメーテルリンクの言葉から来ているとエリセは語っている。 それはある意味「ドゥエンデ」と同じだ。 映画に戻ろう。 この映画は最初に村に移動巡回トラックがやってきて「フランケンシュタイン」の映画が映し出されるシーンから始まる。そして森の中でフランケンシュタイン(精霊)と出会い、昏睡状態で発見されたアナが深夜、暗闇の精霊に向かってささやくシーンで終わる。 途中、村のはずれの一軒家に兵士が逃げてくるシーンがあるが、姉のイザベルから嘘を教えられたアナは彼さえも精霊だと信じ、リンゴを差し出し、オルゴール時計で一緒に遊ぶ。 この映画は「ドゥエンデ」を直接的、間接的に描きながら、ある寓話を描こうとしている。「ドゥエンデ」の力を借りながら、当時(スペイン内戦がフランコの勝利で終結した直後の1940年)のスペイン、スペイン人のおかれた状況を描こうとしている。 1940年、つまりエリセの生まれた年だ。 アナの純粋な目と心は当時のエリセが感じたものだろう。 エリセは兵役についた後、映画監督、脚本家になる決心をし73年にこの映画をつくった。(まだフランコは生きていて、独裁政治が続いていた時代だ) 寓話であるのは検閲を逃れる術だが、それによって逆に普遍的映画に昇華されている。 「ドゥエンデ」はフランコではない。 日和見主義者のフランコは「ドゥエンデ」と呼べるほどの大物ではない。 やはり「ドゥエンデ」は、良い時も悪い時もあり、陽気で尊大でありながら、多くは矛盾をはらみ、血の気の多さと気の短さで暴走と破壊と創造を繰り返してきたスペイン、そしてスペイン人そのものとしか言いようがない。 ゴヤ、ピカソ、ダリ、ロルカ、ブニュエルらに脈々と受け継がれて来た血だ。 それとは対極の澄んだ静かな目と心でエリセはこの映画をつくった。 (だから初めてスペイン映画だと知った時には驚いた) 何度でも観たくなる深い映画だ。 かずま ![]() ![]() #
by odyssey-of-iska2
| 2014-07-23 23:16
2014年 07月 05日
![]() ![]() ![]() 飛行機の長旅で映画を観てよかったと思ったことはほとんどない。 どだい、あんな小さな画面とチャチな音響装置で感動するのは無理だ。新作を観た時は、ストーリーを知らなければ映画館で観たのに、と後悔することさえある。 ただ、私の場合一つだけ例外がある。 「おかしな二人2」('98)だ。 これも観たかったから観たのではない。たまたま席の近くのモニターを何とはなしに見ていたらジャック・レモンが出ていたので、久しぶりだな、元気でやってるんだな、とイヤホンで聞いたら、これが滅茶苦茶におもしろい台詞の連発で、ウォルター・マッソーとの掛け合いも絶妙で、最後までジェットコースターのように観てしまった。 後で調べたら脚本はニール・サイモンで、「だからか!」と納得し、ついでに「1」('68)のビデオも借りて観た。デンポは「2」に負けるが、これもおもしろかった。(脚本は同じくニール・サイモン) ジャック・レモンを最初に知ったのは高一の時で、「グレート・レース」('65)のリバイバル上映だった。(春の甲子園を観に行ったが雨で休みだったので難波に出て、偶然観た) トニー・カーティスとナタリー・ウッドの敵のフェイト教授役で、助手のマックスはピーター・フォーク、と俳優はとても豪華だったが、一番気に入ったのはジャック・レモンだった。間合いや表情、アクションが抜群だった。 (今でも、あの失敗した時に「マ〜〜〜〜ックス!!!」と叫ぶシーンは目に浮かぶ) その後、ジャック・レモンの出ている映画はコメディからシリアスな物までいろいろ観たが、演技がどれも上手で驚いた。(「酒とバラの日々」('62)はあの有名な甘い曲に誘われ観たが、甘いどころか全く逆の、どんどん堕ちて行くアル中の物語で、観終わった後は本当に絶望的な気持ちになった) 一番好きなのはどれかと言われたら、やはり「アパートの鍵貸します」になるだろう。 これは単なるコメディを超えた人間賛歌のドラマで、観終わった後いつも温かい気持ちになる。また、パーフェクトゲームの映画だなといつも感心する。 出演者は皆上手いし、監督も職人芸だし、脚本も良くできている。 物語は、うだつの上がらないサラリーマン、バド(ジャック・レモン)が勤務評価をあげるため、自分のアパートの部屋を上司の逢い引きに貸すことから始まる。 バドは以前からエレベーターガールのフラン(シャーリー・マクレーン)に気があり彼女をデートに誘うが、実は彼女は妻子ある上司と浮気をしていて、その別れ話がこじれ、こともあろうか、バドの部屋で睡眠薬自殺を図ってしまう。 部屋に戻ってきて、ベッドで倒れているフランに驚くバド。 この辺りのジャック・レモンの慌てぶりとその後のフランの回復のために献身的に働く演技は最高だ。優しさと繊細さに溢れている。 特に私が感心するのは、翌朝ひげを剃っていて、ふと、再び自殺するのでは、とすべての刃を隠してしまうシーンだ。ディテールがきちんとしてて、単なるコメディでは全くない。 あの有名な、テニスのラケットでスパゲッティの湯切りをするシーンも最高だ。 「ティヤ〜〜〜ララ、ティヤ〜〜〜ララ、ティヤ〜〜〜ララ、ヤホ〜〜〜」とイタリア人のように陽気に唄を歌いながら、フランと一緒にいるのがうれしくてしょうがない!!という感情が全身から溢れている。 だが、人生はそんなに上手くは行かない。 フランの義兄からは自殺未遂の犯人の誤解を受けてパンチを浴び、おまけに上司からは近々離婚が成立するのでフランの件から手を引け、そして鍵を貸せと再び言われる。 バドは鍵はもう貸さないと言い、自分から会社を辞めて出ていく。 大晦日、年越しパーティの席で上司からその話を聞かされたフランは、初めて自分を本当に愛していたのは誰かを知る。そして猛然とバドのアパートに向かって走り出す。 映画はこのシーンのためにあったのだ。 多くの伏線を張り巡らせながらこのシーンに行き着くためにすべてがあったのだ。 カタルシスが一辺に解き放たれる瞬間だ。 そしてあのラストシーン。 なんて意外な素敵なエンディングなんだろう!! 本当に参ってしまう。 監督と脚本のビリー・ワイルダーに脱帽。 ジャック・レモンとシャーリー・マクレーンに感謝。 そして彼らを支えた裏方さん達に拍手。 この3人とそのチームは、それから3年後に再び組み、場所をパリに移して 「あなただけ今晩は」('63)をつくる。 これも心温まる佳作で、もちろん大好きな映画である。 かずま ![]() #
by odyssey-of-iska2
| 2014-07-05 23:27
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